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プラセボに関して思うこと

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プラセボに関して思うこと

この稿は前稿とかなり重複するものです。

プラセボ反応とはプラシーボ反応とも呼ばれる「固有の作用がない成分を使っておきる好ましい(あるいは治癒)反応」のことを指します。
現代の標準医学ではこれら不活性なはずなのに起きる反応を、活性物質によるものと区別するため、二重盲検査などを用いてその問題に対処しようとしています。

被験者はもちろん、検査する側も期待度を持つと無意識のうちに評価に影響する可能性がある、と言うのがその理屈です。
要するに心理的バイアスを取り除くための工夫なのですが、これはとても良い方法だと私も思います。
しかし人体に対する影響を完全に排除したものであるかどうかについて、少し疑問が残ります。

当たり前ですが、これらの検査は個体の属性を完全にそろえたわけではありません。
その上評価時に「その薬(成分)」に対するバイアスを全体から排除しきれるわけもなく、どこまで行っても不完全であることは間違いありません。

もちろん現時点においてこれ以上の公平な試験方法はないでしょう。
それを踏まえた上で「プラセボ反応」について考えて見たいと思います。

特定の問題、主に緊急状態にある外傷性問題や感染症など、をのぞき、どのような経過をたどって治癒がおきるのかは判明していても、なぜどのような必要性からおきるのかは十分にわかっていないようです。
それは机上の空論ではなく、現代の医療、あるいは代替医療と呼ばれる分野が当たり前のように不完全であることを考えれば納得がいくはずです。

その理由としてまず健康、つまり私たちのあるべき状態が十分に理解されていないこと。
そしてその「真の健康」を維持するためのシステムがどのようなものなのかわからないこと、などが挙げられるでしょう。

ここで当サイトでもよく使う言葉である「自然治癒力」という概念を考えて見ます。
体を良い状態に保ってくれる力、と言う意味ですが、これは具体的にどのようなものなのでしょうか。
良い状態と書きましたが、一般的にイメージされるそれが示す意味は、「生命維持が可能なレベルに引き戻す」ことがその主な作用で、“死なない程度に”体を治してくれる力、と言うのが正しい表現のようです。

自律神経失調症と言う診断があります。
病名というよりは症候名なのですが、自律神経系がその機能を十分に発揮できない(失調症)状態のことです。
現時点ではほとんど「しっかりしなさい」あるいは「心療内科へどうぞ」という言葉の代わりに使われています。
病気と呼ばれる状態のほとんどは、自律神経系の調整機能がついていかず、体が変動の補正をオンデマンドで行えなくなっています。
つまり自律神経系が悪いからダメ、というよりはおかしいから結果として自律神経系の補正が効かず、負のスパイラルに陥るというのが近いと思われます。

この状態はそう簡単に動けなくなるわけではないのですが、なかなかスッキリせず、悪化するケースが多いように思います。
つまり「死なない程度に維持している」典型的なパターンなのです。

体力も十分(なはず)なのにどんどん衰弱していき、なかなか復活のきっかけをつかめない。
言い換えると自然治癒力は働いている(はずである)のに、それが発揮されているようには見えない。
現代風に解釈するならそういうことになります。

「治るプロセス」は大体わかっているけど、なぜ働くのか、そしてそれがどこから来るのかはまだよくわかっていない、と上の方で書きました。

私は「プラセボ」と呼ばれる一群の反応こそがこれらの、つまり治癒反応の本質ではないかと考えています。
さらにこれを一歩進めて考えるなら、私たちの精神や体を一定の形に、それこそエントロピーに(正確には違っても)逆らって維持している力の正体であるとも思っています。

特定、あるいは強烈な生化学反応など、ゆっくりとバランスを取りながらな反応している暇が無いときなどは別です。
しかしほとんどのケースにおいて、心因性の反応が関与していないということは「あり得ない」といえば言い過ぎでしょうか?

薬なども反応そのものはソリッドに、そして再現性のあるものなのかもしれません。
あるいはそのほかのあらゆる健康産業におけるアプローチももしかしたら理論通り(とは私には思えないのですが)効くとしましょう。

しかしそれが「治癒」に必ずしもつながらないのは周知の通りで、治癒という反応のほとんどは私たちの想像外のところで起きているとみた方が“論理的”だと言えるでしょう。

やや言い古された言葉ですが、最終的に私たちの治癒、症状のない健康ではなく真の健康、を達成させているのはどうやら私たちの「心」であると、私は考え始めています。
ただ、この「心」の正体は不明で、精神活動や意識といった大脳生理に関わる機能と同じではなさそうだな、とも考えています。
同時にこの心の制御に関して、古来よりたくさんのマニュアルが残されているようです。

稿が前後しますがしばらくこの問題について考えて見ようと思っています。

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