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実質同等性

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実質同等性

タンパク質とアミノ酸は同じものか。
答え:場合による、です。
塩基が連なりアミノ酸になり、アミノ酸が連なってペプチド、そして立体構造を取るに至ってタンパク質と呼ばれるようになります。
タンパク質は消化酵素の働きを受けてアミノ酸という吸収可能な単位に分解され、小腸から門脈、そして肝臓へ送られます。
そこで必要なタンパク質の材料として再構成されるわけです。

ではアミノ酸を入れると同じ過程をたどって同じように利用されるのでしょうか。
これについては「少し違うだろう」と考えられています。
よく"点滴だけでは体が持たない"という話を聞きます。
これは血中に直接利用可能な形で栄養補給をしても体の機能が維持できないという意味合いのことですが、あながち間違った話ではありません。
それは消化酵素や肝臓における合成能、つまり負荷が正常にかからないからに他ありませんが、このあたりはかなり誤解を受けている節があります。
勿論緊急時やそれ以外に方法がないときはあれこれ考える必要はありません。

外部から栄養を補給するということは、それによって内部で起きる流れを生成するということと同義になります。
消化管から入った食べ物が胃や小腸で分解され吸収される。
そして肝臓で代謝を受けてそれぞれの臓器が働き出す。
こうした当たり前の一連の動きを起こさせることこそが、自らの体を維持する大切な方法というわけです。

今ほど栄養学や生理学が発達していなかった頃、砂糖も穀類も同じカロリーならば同じ影響を与える、と考えられていたことがありました。
現在では勿論「そんなことはない」となりますが、これはつまり体を一種の機械ととらえていることの証左でもあります。
機械としての側面も勿論ありますが、要素を集めて所定のスペックを実現するのが機械設計の狙いだとすると、私達の体あるいは生命現象というのはどうやらそれだけでは説明のつかない側面を持っているといわざるを得ません。

実質同等性というのは「分析解析結果が一緒あるいは近似であるから、同じようなものとする」ということですが、栄養一つとっても私たちの分析というのは不十分であると言うしかありません。
何でも自然が一番、と言う戯れ言を言うつもりはありませんが、反応そのものが生命現象であるとするなら、不用意な「実質同等性」の考えはもう一度よく考察してみる必要がある、と私は考えます。

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