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自信を持つと言うこと

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自信を持つと言うこと

自分を信じると書いて自信と読みますが、物事を真剣に考えつつ生きている人のほとんどはそう簡単に手に入れることができないものでもあります。

理由は色々ありそうですが、やはり「自分を知らず、また何をするべきかがよくわからない」からだろうと推測します。
そしてそれは“色々”考える人ほど、周囲の出来事などと比較してしまい、自分を見失いやすいと言うことでもあります。

では自分を知る、するべきことを悟るというのはどうしたら達成されるのでしょうか。

心理状態というのは幾度も書いてきたように大体が生理状態と連動しています。
生理状態が不安定だとなかなか自分の内部というものが探りにくいと私は考えます。
なのでまずは生理状態を最低限のレベルで良いから安定状態にしておくことが肝要となります。
あまりに不安定だとセンサーが狂い、見極めようにも基準点が定まらないという問題が生じるからです。
ただしこの時点で焦ってしまってはだめです。
時間をかけて一つずつ問題を解決してゆかないと、必ず途中でしわ寄せが発生します。
これはとても大事なことです。

その次に自分の衝動を書き出してみます。
書き出してみると、都合の良い思い込みなどを客観視することができます。
幾度かそうやって自分というものを紙の上に置いてみると、少しずつ自分を振り回しているものの正体が見えてきます。

それを一つずつ見つめて解決するのも一つの方法ですし、まとめて見つめ直してみるというのも悪い方法ではありません。
いずれにしても自分の根源的な姿が(気張らずとも)わかるように工夫をしてみるわけです。

理解はできないけれど納得はする。
心の奥底にいる自分をそうとらえることができたらOK。

そうなったとき、自分の不安も恐怖もきっと自分の一部として認識できるはずです。
つまり自分に対しての疑いを払拭できる=自分を信じることができる、ということになるわけです。

さらに言うならこのある種悟ったような状態はこのさきずっと感動や安心をもたらすわけではありません。
また状況が変わると不安が襲ってきたりします。
そうなったらそこからまた始める気がおきるのが、本当の理解がもたらす最大の福音なのでしょう。

生きる以上困難というのは常について回ります。
それを克服するための大きな力になってくれるものが自信であり、それをいつも更新できるようになることが現代人にとっての共通した目標と言えるような気がします。

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