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意識:再考

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再考:意識

攻殻機動隊というアニメーションがあります。
近未来のお話で、人間がどんどん機械によって強化されていくというのが設定の一つになっています。
その強化臓器は全身に及びますが、最もポピュラーな部分が「脳」で、これを機械的に補強したものを「電脳」といいます。
脳と連結したコンピューターを埋め込むようなもの(らしい)ですが、これを行うことによってコンピューターネットワークへの接続が可能になります。
要するにコンピューターと脳の区別がつかなくなるというのが、この物語最大のミソではないかと個人的には考えています。
当然他人の脳へ不正侵入を行うもの、そしてそれを利用して他人の思考や記憶を操るものなどが出てきます。
そして瞬時に様々な情報をネットから検索したり、特定回線を使って通信機なしで情報交換するなど、びっくりするようなしかし夢物語とばかりは言えないようなリアルさが漂っています。
余談ですがウォシャウスキー兄弟がこの作品にインスパイアを受けてあの「マトリックス」シリーズを作ったのはわりと有名な話です。

さてこの中で少佐と呼ばれる女性が自分の義体(機械化された体)を破壊されたあとも、その意識だけをネット上に遊離させ、時々誰か(アンドロイド)の頭に入り込んでその体を動かすというストーリーがありました。
現実として私たちは自分の脳を離れてその意識、さらに言うと自我を維持させることは(たぶん)できないと思われます。
たまーに「もしかして・・」と思わせるような出来事にも出会いますが、原則としては無理じゃあないかと考えます。

しかし、仮にこのような「人類全体意識の集合」レベルのネットが機能したとして、ここから随時必要な情報を引っ張り出し、そして実行できる人形があるとするなら、それはすでに意識があるとよんでも差し支えないのではないか、とも考えたりします。
もちろん欲求に突き動かされて記憶を引き出すこと(意思)ができないのであれば意識があるとは言わない、と言う意見もあるかもしれません。
しかしその欲求というのがさまざまな外的変動に対応した結果であるとすると、人形にそのようなセンサーとプロトコルを仕込んでおけば同じことです。

さてここからが本題です。
私としては二つの疑問があります。

まずこの生理活動を出発点とした「意識」がなにゆえ私達の体、あまつさえ他人の体にまで影響を及ぼしうるのか。
生きている人間同士はもとより、体がなくなってもその意識の痕跡、あるいは方向性が影響を与えるというのはよく考えてみると理屈に合わないように思います。
治良に対して割と反応が良い問題であるところを見ると、意識が何であるかをイメージすることは可能ですが、それを矛盾なく説明しようとするとかなり難儀であると言わざるを得ません。

もうひとつは意識が生命体というものの定義の中に必要であるという考えです。
大量の、それこそ感情の振幅までがデータ化された中で、自我を持った情報体(?)が生まれたとするなら、それはきっとありとあらゆる点で“人間らしい”やりとりができる可能性があります。
意識は私たち特有の現象と言うよりは、高速処理可能なシステムの中ではデータがそのように振る舞う(かのように見える)可能性があるのではなかろうかと素人の私は想像したりします。。
ということは私たちはあらゆるデータの流れに影響をうけているかもしれないと言うことになります。

治良の完成を夢見て日々改良やら自分への実験を繰り返している身としては、このあたりのことには非常に興味があります。
ご意見お待ちしております。

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