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意識の問題

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意識の問題

意識の問題

治良をするにあたり、特に遠隔治良において、私は「自分の決めつけが邪魔」であると早い時点で気がつきました。
ただ、そうはいっても「ではどうするべきか」という答えを出すまでには試行錯誤紆余曲折だらけでしたが。
では「決めつけ」とは何か。

それを(自分が改めて)理解するために少し「意識」「思考」について考えてみます。

これらについてはずっと、もう小学生の頃から「なんじゃこれは?」と考え続けてきました。
それくらい当時から自分に対しての窮屈さを感じていたのだろうと思います。

当然いろいろな本を読んだり疑問を大人にぶつけてみたりしたのですが、当時の私(正確には割と最近まで(笑))では納得できる答えを探すことは出来ず、仮に正しい答えを提示されていても気づけなかったようです。
道徳や倫理がまだ大手を振って「正解」とされていた時代ですが、それがどのような理由でどこから出てきているのか、無矛盾な答えを見つけられなかった、と言うのがより正しい表現に思えますが。

さてでは意識という現象から。
これは当サイトでも何度も書いたことですが、基本「脳内で命令が起きたあとに生じる、一種のモニターリング反応」であると現時点では結論づけています。
その生理的反応の特徴は

・当該ニューロンのシナプス発火後0.5秒後に生じる

というものでした。

同時に0.5秒以上発火したモノは“強く印象づけられ”、様々な内部加工を経て「記憶」として格納されます。
この記憶も生のままの「記録」では無く、先に格納された記憶群と関連づけられ、より大きなイメージの一部として私たちのしかるべき場所におさまっています。
また生体としては異例に長いその反応時間は、脳内のエネルギーリソースを周辺組織よりも消費し、血糖酸素供給あるいは冷却のための脳脊髄液や血液を集中させる必要が生じます。
結果、当該部位が興奮している状況だけが脳内でクローズアップされる、つまり「注意が向いてしまう」というコトになります。
注意力散漫というのは実は「ポテンシャル変動部位あるいは意識が乱立していてリソースをうまく集中させられない」と言うことでもあります。

さて(きわめて単純化されていますが)このような経路で格納された記憶群。
上で書いたように、その途中で先に格納された記憶たちとの関連づけが行われます。
正確にはこれらが行われないと記憶としてとどめておくことが難しく、必ず何らかの「修飾」があって初めて記憶となってゆきます。
例外としては最初に深く接する人間、大抵は両親(特に母親)でありますが、は保護欲求の充足と相まって単独のイメージとして大きな領域を占めることがあります(これも厳密には単独ではありませんが)。
またIIT(統合情報理論)によると、私たちの意識という現象は処理過程によって生じるモノとされています。
同じ刺激が入っても、その処理プロセスはシナプス強度によって同じモノとはなり得ません。
シナプス強度は生理あるいは生化学的な差違によって簡単に変化し、入り口では同じようなものでも出口では全く異なるモノとなるというのがその主張です。
意識が私たちの注意をひくものであり、しかしそのひきかたや生じるイメージが厳密にはすべて違っているのは、そういった理由からだと、最新の理論は考えているようです。
事実、眠っているときは完全に意識が消失している時間も出てきますが、脳内におけるシナプス発火そのものは消失せず、むしろ脳波の元になるエネルギー量はは同レベルで発生します。

これらのことから意識という現象が脳内の電気エネルギーに先行も依存しているのでもなく、処理過程におけるエネルギー差分(睡眠時には発生しづらい)によって発生する局所的ポテンシャル(血流や熱量など)増加を収束させるための生理的反応の結果であると、現時点では推測できるでしょう。
刺激→反応→ポテンシャル変動→安定志向によって生じる収束反応→そこが最もエネルギー変動が大きい故に「注意が向く」
意識の発生メカニズムとはそういったものであると私は考えます。

さて、次に思考の問題を考えてみます。

先に書いたように私たちは強く印象に残ったものを「記憶」として、様々な関連づけを行いながら脳内のしかるべきシステム上に蓄積してゆきます。
関連づけると言うことは別の言い方をすれば、リンクを作りながらイメージを生じさせることであり、そしてそれを安定的にしようとすることでもあります。

ここで脳の機能について。
脳は出来るだけそのイメージを他のイメージとつなげて運用しようとします。
それはなぜか。
狭いイメージ内、つまり関連づけが少ない場合、このイメージが少ないシナプスによって保持されていると言うことになります。
実際は少し違いますが、話を分かりやすくするためあえて単純化してみます。
たとえばリンクが自身を含めて三つの場合。
三角形で構成されたイメージ保持機構と言うことになります。
これはイメージにだとり着く最終経路が二つ(二つのリンクしか持っていない)である、と言うことを意味しています。
簡単に言えば「たどり着くまでにとても苦労する=神経核のポテンシャル変動が大きくなりがち」というわけです。
これがたとえばリンク10の場合はどうでしょう。
最終経路は9個であり、その先にあるリンクは指数関数的に多くなるので、リンク2個の場合よりはるかに検索が容易になります。
つまりこれは一つ一つが踏ん張らなくても、仲間のチカラを経由しながらより少ないポテンシャル変動によって記憶の参照が可能になることを示しています。
つまりより「安定的に運営できる」コトと同義と言えます。

会社組織で言えば、情報を握っている人間にいちいち聞きに行くのは非常に効率が悪いだけではなく、その人間が疲弊するのも早まり、結果的に会社の不利益が大きくなりやすい。
しかし情報を様々な形で関連づけ共有し、誰からでも引き出せるようにしておくことが出来るならば、効率は上がり無駄なやりとりも減り、個人の負担もシステムの洗練度に反比例しながら下がる、ということでしょうか。

生物はより安定を好み、特に脳は究極の怠け者なので、この「一つ一つのエネルギー消費が少なく、そして全体としてより大きな利益を期待できる」ネットワーク化は、是非とも推進したいものであると言えそうです。

このようにして保持されている記憶は、何か脳以外から刺激を受けるたび、いや、外部からの刺激など無くても脳内の代謝維持の必要性から、常に内部で発生している刺激によってデータベースから引っ張り出されます。
これは脳のリソースを消費させるものであり、ある種のノイズと言えます。
そこはポテンシャル差分が発生しやすく、つまり注意が向きがちになると言うことになります。
当然何か新しい情報が入力されても、それと関連づけられるために似たような感覚とセットになっているモノを優先的に参照し、休み無く関連づけては格納する作業を繰り返します。
そして可能ならばそれらをより多くの、広範な範囲のイメージと合致させられるようとします。
理由は先に書いたとおりリソースの節約という面が強く、それは同時に脳内の安定を意味し、さらにはそこから誘導される「安心」という心理状態に結びつきます。

さてここからはいつも以上に勝手な推論ですのでそのおつもりで。

思考というモノをよくよく観察していただけるとわかると思いますが、実は「知らないことは利用できない」と言うことに気がつきます。
記憶にあることだけを思考の材料としているのです。
私が治良に対して思いをはせるとき、その思考自体は自分の知っていることで構成されています。
それをあれこれ組み合わせ、ときには反発させ、より大きな枠組みを構成しようとしている、あるいは自らの実感や感覚(こちらは意識できないレベル、つまり注意をひかなかったが無意識レベルではメモリーされている刺激やイメージ)に合致させようとしているだけ。
思考という“行為”が、基本的にはそれだけだと言うことが見えてきます。

ネットワーク化あるいは無意識レベルに合致させることが出来れば、他の多くの記憶との整合性がとれる。
つまりはその記憶をより効率よく引き出す準備が出来たと言うことでもあり、その時点でも既に内部で発生するノイズ(意識の発生)の軽減があると考えられます。
なぜなら各神経核の稼働状況は抑えられ、ネットワーク化によって必要な記憶のすばやい検索が可能になっているからです。
こういった状況下では、局所的な興奮は長引かず、意識の発生に必要な「0.5秒以上の発火」も頻度が下がるでしょう。
つまり脳内は「内部に格納された情報同士がより多く密につながることで、内部で生じる変動をより少なくすることが可能になる。これは脳にとってはとても魅力的であり、ひいては報酬系の活性化(これも脳細胞のリスクの一つ)を抑えながら代謝を維持でき、かつ効率的に生存確率を上げられる」という、いいことずくめの方向性に思えます。

そんなことがわかるにつれ、決めつけとは何か、と言う冒頭の疑問には、私は次のように答えるようになりました。
「それは自分の中に格納してある記憶群から生じたイメージに、現実の現象や感触をはめ込む作業であり、本来含まれている、しかし自分の頭の中では理解の及ばない多くの情報をそぎ落とさねば出来ないことでもある。治良を行うにあたり、自分の脳を安心させようとして起す思考やその結果生じる意識は、現実に対応する最適化された行為を損なうモノと強く思料される。故にこれを排除するという発想は、少なくとも自分の治良においては好ましいと考えられる。」

考えすぎて単なる脳内妄想に堕しているのか。
はたまた“正しい”方向性を持つのか。

この先出会うであろう新しい情報がどのようなイメージ(情報のネットワーク)を生み出してくれるか、とても楽しみにしています。

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