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徒弟制度:続き

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徒弟制度:続き

まずこの記事をご覧になって下さい。

https://news.careerconnection.jp/?p=22734

以前堀江貴文氏らの「寿司職人に長い修行なんて無意味」といった旨の発言がネット上で物議を醸しておりました。
上の記事はその続きをTVで討論したようなもの、らしいです。
番組を直接みたわけでは無いのですが、記事を読む限り、おそらくその延長上にあるものだろうと考えます。

記事中にある31歳店長の「客のニーズ云々」といった下りはなかなか興味深く、こだわるポイントがずれがちな私たち治療師も、今一度自分の原点を見直す必要があると感じました。

では従来の徒弟制度は、現代において本当に「時代遅れ」なだけなのでしょうか。

まず冷静になって考えると、上記31歳店長(学校卒業後すぐに開業)は、いわゆる「成功した人間」であることがわかります。
技術的なことも含め、お店の運営を上手に行える「才能のある人」と言うことでしょう。
当然「成功しない人間/(ここで言う)才能が不足している人間」はその何倍もいると考えるのが妥当で、その人たちの立ち位置からの記事では無いこともわかります。

「才能の無い人間がいつまでもその職にしがみついているなんておかしい」

こういった意見にも全く理が無いとは思いません。
才能のある人がどんどん創意工夫を続けていくのなら、無い人間が同じコトをするよりもきっとよいものが出来るであろうと思うからです。

と同時に、ただやりたいことをやっているだけ、と言う心情もよく理解できます。
また単に短時間では才能が開花しないタイプもいるでしょう。
あるいは技術も経営もそこそこでしかないけれど、一つのことを粘り強く考え続けられることも職人仕事における「適性」であると言えそうです。

いずれにしてもぱっと短期間で技術やノウハウを習得できる人「だけ」が生業としてその職を選んでいるわけではありません。
一から十まで体で繰り返し覚え込まないと身につかない人たちは、数ヶ月の座学や実習では他人様に技術やサービスを提供してお金をいただくまでには至らないと考えるのが普通です。

ただ堀江氏も「長い修行を経なければ『絶対に』技術やノウハウは身につかない」と言う(ある意味盲目的な)風潮に意見を書いてみた、と言うことだとは思います(勝手な想像ですが)。

さて、飲食のことは今ひとつわかりませんが、徒手矯正においてこれはどんな意味、重みを持っているのか、と言うことはよく考えます。
あるのか無いのかと問われれば「技術的にも経営的にも才能なんてあると思ったことがない」と即答する私ですが、30年間職業替えをせずにいられたのは、この仕事に対して何らかの適性が自分にはあったからだろうと考えています。
専門学校入学以降、いろいろな経験や勉強を経て、今現在の「治良」に落ち着いた感があります。
もちろんこれが自分にとってのベストかどうかはまだわかりませんし、どの治療法よりも優れていると大口をたたくつもりもありません。
ただ、今の自分が治良師として提供できる最善のアプローチであるとは思います。

これはある種の思考実験みたいなものなのですが、30年前の自分に「これこれこういう理由でおまえさんにはこういった治療法があっているよ」と教えたとします。
つまり今のノウハウや方法論を“伝授”してみるわけです。
いくら何でもあの頃の私よりは技術も経営ノウハウも上でしょうから、20歳そこその私にとっては他人に教わるよりも俄然フィットする話であるはずです。
何しろ他人ではなく自分に教わるのですから。
もちろん私の教え方が完全であり、伝え漏らすことはないという(あり得ない)前提の元での話です。

結果としての感想はおそらく「かえってだめになるから放っておくのがよかった」だろうと推測します。

理由:私たちの業界を見渡してみると、今提供できるコトあるいは使っている技術の必然性を

・そのまま素直に模倣し習得できるタイプ

・つい疑問を持ってしまい、いらんことまで考えてしまうタイプ

に分かれますが、もろに後者タイプである私などは、自分にフィットしているはずの方法論でさえ”それどうやったら自分に取り込めるの?そもそもあんたの言っていることって本当なの?”と話を聞いたとたんに疑問を持ってしまいそうな気がします。
要は31歳店長からみると「アホなの?」と思われそうな人間なワケですが、それでもこの仕事を続けてゆきたい。
そんなわたしが治良を業務として成立させるためのノウハウ習得は、様々な(一見無駄としか思えないものを含めた)経験が必須であったと言うことには疑う余地がありません。

そもそも何をもって成功/失敗を宣言するのか。
経済的ことを持ち出すのであれば、「世界で一番稼ぐ人以外はすべて負け」であります。
この業界を目指した時点で「負け組決定」となる。
論理を詰めればそうなります。

勝ち負けという言葉を持ち出した時点で「あんた何と戦ってるの?」と突っ込まれそうですし。

・・・なんてことに気がついたときにはずいぶん歳をとっていましたが。

成功/失敗が究極的なところでは世間や他人の尺度で語れないことは明白です。

そうです、ようは「自分が満足できるかどうか」だけが人間という「脳動物」の中では大切なのです。
もっとも、それを達成するためには、仕事上のよい結果というものが自分にとって必要条件(十分条件ではなさそう)であるようですが。

徒弟制度は無駄か?
(私の)結論:私のように必ずしも才能に恵まれていない人間にとっては有益な(技術/ノウハウ)習得ステップだが、それが絶対というのは明らかに間違いである。
そもそも「何をどのように」習得したいのかでも答えは変わる。

皆さんはどのように考えますか?

参考:徒弟制度について

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