触ること、触らないこと
触ること、触らないこと
最近全治良件数に占める遠隔治良の比率がかなり高くなってきました。
大体60%平均ですが、多いときは7割を超えることもあります。
何でもかんでも遠隔がよい、というわけではもちろん無いのですが、遠隔治良でしかわからないこと、あるいはできないことがあります。
「冗長(ロバスト)性」という言葉があります。
カラダに関して言うと、変動に対する懐深さの度合い、というところでしょうか。、
あらゆる変動に常時さらされている私たちのココロやカラダは、できうるならばその影響を違和感として感じない範囲に収めておこうとします。
いちいちまともに反応していたのでは幾つカラダがあっても足りないからです。
つまり冗長性というのは、“たいしたことのないものは適当にごまかす”ことのできる性質のこと、と考えることができます。
しかし当院に訪れる方たちの半分くらいは、その性質をかなりあるいはほとんど使ってしまっていて、ちょっとした負荷でも平穏さを保てなくなっているということも珍しくありません。
特に制御系がよい意味での“適当さ”を損なっている状態だと、判断力そのものが落ちてしまい、ココロやカラダの安定を得ることが困難になります。
こういった場合、ピンポイントでの問題修正をしようとすると、かろうじて保っていたバランスにも影響を与えることがあります。
しかも大抵はよくない方向で。
それもひとつの方向性ではありますが、できるならばあまり痛い目に遭わずに楽になりたいしたいというのが大多数の方、そして何よりわたし自身の本音です。
そうしたとき、わたしは遠隔治良を勧めることにしています。
遠隔治良はあまり深くえぐらないように問題を修正します。
あるいはたくさんの問題が並列して、それらを同時に扱う必要がある場合に威力を発揮します。
ではそれを行うとどんなメリットがあるのか。
まず、体力の消耗をはじめとする治良の負荷が最小限になります。
カラダのメカニカルあるいはケミカルな反応そのものに影響するわけではなく、それを制御している「何か」が遠隔治良に反応する(と思われる)からです。
もうひとつは一点突破型の直接治良とは違い、症状の背景を広く浅く検査修正することができます。
この特性により“大抵のケース”において正常な反応を邪魔する制限を除去することが可能になります。
対して直接治良をするのが適しているケースは、大きな問題がその症状の背景の半分以上を占めるようなときです。
あるいはメカニカルな問題が大きいとになど、触ってカラダを直接動かさなくてはならないとき。
これらはやはり遠隔治良よりも効果的であると感じています。
どちらも適宜使い分ける必要があります。