知性や感情って何でしょ?
知性や感情って何でしょ?
知性や感情って何でしょ?
まずこの記事
ついに夢の世界が来るのか、と思いきや
次に上を全力で否定する記事
これを読んで「だよねー」と少々冷静になる・・・
この論争(?)自体にはあまり興味は無いのですが、上の記事中にあるリンク先でLaMDAなる人工知能は「私には知覚力や感情がある」と述べております。
当然「知性」も備わっているとみるべきですが、そもそも知性、感情、知覚力って何を指しているのでしょうか。
まず知覚。
当然ながら生物でもAIでも何か変化を拾い上げるには(それが自身の外でも内側でも)センサーが必要になります。
我々生物であれば原始的なモノから高度なモノまで様々な受容器があり、進化した生物には神経系が備わりこれに接続されています。
AIであればそれは機械式や電気素子を用いた物にによって成立します(多分)。
これらを用いて自身の内外で起きている化学的物理的変化をピックアップして、内部の情報と結びつけた結果自分にとっての危険、或いはチャンスであると判断されたモノだけが「認識」されます。
変化変動を拾い上げて情報化することを「知覚力」と言います。
機械の場合はセンサーで拾い上げた変化変動をデータとして保持。
内部ルールに従い整理するでしょう。
次に感情。
私たちであれば受容器で拾い上げた内外の変化は中枢神経系上に体性感覚としてマッピングされます。
このマッピングパターンをつくる入力はまず脳幹レベル、或いは間脳レベルにおいて「危険かチャンスか」を評価され振り分けられたのち、それがどの程度のものであるかをも査定され、新皮質において全体の評価がなされます。
これが様々な階層での「記憶」と比較参照されて「取り込むか排除か」が決められます。
通常その訴求力は刺激の強さに相関しますが、自身が内部に持つ「情報の塊が関与する可否ライン」もそれ以上に大きく関わり、生物学的な要求を覆すこともしばしばです。
マッピングパターンが作る反射を「情動」と言い、これに内部情報の作るフィルターが加わって認識されたモノ(情動は認識されないこともある)を「感情」と言います。
これらは当然のことながら内外環境の変化に左右され、そのたびに最終的な判断に強く影響するなど色々やっかいな面を持ちながらも、当該個体にとってはある程度的確さをもち判断スピードが上がるという利点を持ち合わせています。
現状において神経科学的な考察をするならば「判断スピードを上げるために生じたモノ」であると言えるでしょう。
最後に知性。
知覚や記憶による学習が単細胞生物にもあり、感情は人以外の生き物にも生じ得る。
観察を経て科学によって出された結論だろうと考えます。
しかしこの「知性」なるモノが単細胞生物にもある!と認めるのはいささか無理があると思われます。
ここでは「反射以上の反応を持ち合わせる生き物にあるもので、複数の条件下における最適解を導き出す能力」として考えてみます。
もちろん最適解とは「個体保護最優先」のために出す答えであり、その中で最も生存確率を高めてくれるモノとします。
そのためには今まで得たあらゆる情報を参照しつつ、これらをつなぎ合わせて有利な状況を作り出すか不利な状況から離れる必要があります。
大雑把に言えば「今脳内に格納しているイメージをどのくらい使って現状を乗り越えたりやり過ごしたり出来るか」が、知性のあるなし(或いは高低)の判断基準になると思われます。
さらに言えば主観は感情を含めて即断即決するには効果的ですが、客観という「より論理的な見解」を多く使える方が「知性が高い」と言えるでしょう。
余談ですがここでいう知性は自意識とは分けて考えるべきものです。
自意識は「他とは違う自分」を体性感覚や経験をベースに理解した結果生まれるモノで、必ずしも知性を伴うわけではありません。
ちなみに身体における内外の感覚を完全に遮断するとあっという間に自意識が崩壊することは実験で確かめられています。
さてではAIには知性があるのでしょうか。
膨大なデータ、情報を精査して必要な答えにたどり着く。
例えばあらゆる医学的知識や情報を参照して、人間では見つけえない問題を診断する医療用AIなどは、例えそれがいかに論理的であっても「知性がある」と言えるでしょうか。
知性を知識に基づく営みとするなら「ある」ですし、客観のみで構成された答えは「知性が高い」とも言えそうですが、個体保護のために状況を判断するのが知性であるなら「ない」となるでしょう。
この辺りは定義次第ですが、一般的に考えられるのは「主体性があるかどうか」だろうと予測します。
自主的に(個体保護のため)状況にコミットする。
この点からみるに「無生物には知性は生まれ得ない」と結論できるかも知れません。
・・・・知れませんが、LaMDAは「死を恐れる」的な発言もしています。
文章の生成に長けているAIなので単に会話の流れを先読みした上で質問者が喜ぶ(と規定される)方向へ誘導するよう設えられていた結果、なのかも知れません(多分そう)。
攻殻機動隊GHOST IN THE SHELLという名作アニメがあります。
この中に出てくるプロジェクト2501は高度ではあるものの単なる自律性を持ったプログラムであったのですが、途中で何かに目覚め「AIではない、私は情報の海で発生した生命体だ」などと言い出します。
これに対して追跡する側である中村部長(やられキャラ)は「単なる自己保存のプログラムに過ぎない」と罵倒しますが「それを言うならあなたたちのDNAもまた自己保存のプログラムに過ぎない」とやり返され内心ぐぬぬとなります。
また2501は「生命とは情報の流れの中に生まれた結節点のようなモノだ」とも言います。
生命とは何を持ってそうであると言えるのか。
生命とそうでないものとの違いをひとつ挙げろ。
もしそう言われたら「熱力学第二法則を(エリア時間限定ながら)破っている存在」となるのでしょうか。
(意図的な介入無しでは)秩序は無秩序に向かう。その逆はない。
熱力学第二法則は簡単に言えばそんな話ですが、生命という現象は明らかにそれに反しています。
積極的にエネルギーを取り込み、代謝し、結果生じた熱を捨てて、つまりは自ら局所的にはエントロピーを減少させながらマクロで見ればエントロピーを加速させているという“非常識”な振る舞いを死ぬまで続けています。
情報の流れ云々に沿って言えば「流れのある情報を取り込み、再構築し、メモリーがいっぱいになったらリセットする」と言うことに近いかも知れません。
しかも驚異的な熱効率を持って。
そもそも分子のスープでしかなかった原始の海でどうして秩序だったシステムの構築が始まったのか・・・
無秩序が秩序を生み出すポイントはおそらく「熱」だろうと(勝手に)当たりをつけています。
乱雑なデータが偶然を介して意味のある情報としてまとまる
ただの分子の集合体だったものがタンパク質になることさえ偶然の上に偶然が重ならなければ無理でしょう。
この過程に熱という分子のランダムな動きが関与していないと考えることの方がもはや難しい。
少なくとも天文学的(或いはそれよりも稀)な確率で起きた生物誕生という「奇跡」はこれ無しではなかなか想像できるものではありません。
或いは熱の移動自体が情報と言えるのかも知れません。
そう考えると2501の言い分はあながち絵空事ではない、かもです。
そのように推測しています。
さて話は戻って「機械に知性は生じうるか」です。
ここはノイマン型コンピュータに限定して考えてみましょう。
一般的なプログラムでも2501のような高度な自律型でもかまいませんが、これらがずっと休みなく延々と宇宙の年齢以上に稼働するとしてみます(実際にはないですが)。
供給される電源も無尽蔵で、機械的な劣化もないと仮定しての話です。
「分解した時計をプールに投げ込んで勝手に時計が完璧に組み上がる」
そんなあり得ない話よりも低い確率でしか現在のハードソフトは「完全自律型に向かうような論理とプログラムを組みかつ増殖しつつそのシステムをも自ら整え、自分を保護するために積極的に状況にコミットする」ようにはならないでしょう。
内部に熱が豊富にあってもです。
ただその確率は完全にゼロではない。
ただの分子の集りが炭素型生物になっていったように。
現時点で分個人としては
・知性も感情も生きる上で必要だったから発生した
・それ故に個体保護が必要の無い機械には発生し得ない
・ただし気の遠くなるような時間をかければ現在の機械も「生物の条件を満たすような変異」を起こす可能性はゼロではない
・それ故機械が知性(や感情)を持つ可能性もゼロではない
としか考えられません。
さらにどうしても気になる点を挙げるとすれば「生物になるには素材が(文字通り)硬い」ことでしょうか。
良くも悪くも柔らかく、偶然のエラーも土台に進化できる私たち炭素型生物は、言ってしまえば「スカスカ」な構造や機能で出来ているのですが、ハードウェアが基本金属な現状のコンピュータは結構、イヤかなり高いハードルを越えなければ生物には「届かない」だろうとも考えます。
進化の過程で「必要に駆られて獲得した形状機能によって生き延びる」のが生物において必須の方向性であるならば、そしてそのひとつが「未来を予想して生存可能性を高めるために高速情報処理を可能にする脳と知性」だとするならば、GoogleのLaMDAは知性を持っているとは今のところ言えなさそうです(あくまで個人の感想ですけど)。