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無意識の活用

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無意識の活用

文藝春秋2017年季刊夏号
http://www.bunshun.co.jp/mag/special/index.htm 
で、作家の橘玲氏と脳科学者池谷裕二氏の対談が掲載されていました。
その中でいくつか面白いお話が載っていたので抜粋してみます。


分離脳実験に対する橘氏の感想を受けて

池谷 この場合、ちゃんと仕事をしているのは、「右脳」ですよね。「左脳」がやっているのは、自己正当化です。(45pから抜粋)

以下47~48pより
橘 では、最後にこれまでの知見を踏まえて、人間は脳とどのように付き合っていけばいいのか、教えていただけないでしょうか?
池谷 やはりまず、「意識」中心の考えを捨て、「無意識」こそ自分の本体だと認識した方がいいと思います。これまで述べてきたように脳が行っていることの大半は、実は「無意識」が行っています。しかも、その仕事は非常に正確で優れています。「無意識」は記憶も出来るし、知能も持っているし、判断や決断も出来ます。ですから、自分の能力を高めようと思うのであれば、「無意識」を鍛えるべきです。
橘 でも、「意識」は「無意識」にアクセスできないですよね。どうしたら鍛えられるのでしょうか。
池谷 スポーツ選手や音楽家、将棋や囲碁の棋士が日夜、行っていることが参考になると思います。彼らは、ひたすら同じ課題の反復練習をして、体に憶えさせている。いちいち「意識」が考え、その場にあった答えを出すのではなく、ある特定の環境の中に入ったら、条件反射的に「無意識」が考え、最善、最良の行動が出来るように鍛錬しているわけです。彼らの優れた「直感」は、その鍛錬から出てくるものなのです。
橘 人が幸福になる鍵を握っているのも、「無意識」ですよね。幸福とは感情であり、感情は「無意識」からしかやって来ないものですから。
池谷 おっしゃるとおりだと思います。幸福感の特徴は、なぜ今、自分が幸福だと感じているのかは、自分でもわからないことでしょう。もちろん「意識」はもっともらしい理由をこしらえてるでしょうが、おそらくそれは本当の理由ではない。幸福なのは、「無意識」が幸福だと感じているから、としか言いようがないですよね。でも、ある環境があり、それに対する「無意識」の条件反射によって、幸福感が立ち現れるのだとしたら、なるべくそのような環境を再現すればいいのかも知れませんね。


意識と無意識、どちらも脳という臓器が機能しているが故に生じる記録/記憶ベースの現象であり、基本的には

1、感覚器からの入力によって生じたる
2、それらは現実からある局面を切り取ることで記憶として格納される
3,意識領域の場合は同様に意識される記憶による修飾が強く、無意識領域のそれはその割合が意識領域の記憶よりも下がる

と言う特徴、共通点があります。

大抵これらの記憶同士が結びつくことによるより大きな記憶サーキットが生じ、これが「思考という現象」になります。
今現在必要な(=生存確率を上げるような)「ストーリー」を記憶から生成し、それが自分の経験や実感から外れていないことを確認し、内部に対する整合性をとる。
大まかに言うと私たちはその(脳内平衡)ために思考という反応を生じさせ維持します。
もちろんその際には意識無意識両方の領域に渡って記憶は引っ張り出され、結びつけられ、都合の悪いパーツは無視あるいはなかったことにされ、それでもつじつまが合わなければどこかで見聞きした空想妄想に置き換えるなどという荒業もときには繰り出します。

意識がやっているのは自己正当化。
上の抜粋で池谷氏がそう指摘していますが、こうして改めて書き出してみるとその説にも大変な説得力が私にとっては生まれます。

これをおふざけ半分で擬人化して考えてみました。

無意識はたくさんの子供たちにたとえられるでしょう。
見たり触れたりしたもの(感覚器からの入力)を圧倒的大勢の子供たちが、うまく伝えられないのに各々好きなタイミングで発言するためまとまりもなく、情報としての価値もそのままでは少ない。
また、人の言うこと(感覚器やその処理システムの状態)に左右されやすく、発言の意味は一貫していない。
しかし状況を限りなくあるがままに伝えており、修飾も必要最小限にとどまっていて、潜在的価値の高いデータ(ただし情報未満)とも言えます。

それに対して意識は分別を知った大人です。
経験や実感に裏打ちされた「成功への道筋」をいくつも知っています。
またたくさんの情報をまとめ上げて、新たな可能性を探ることにも長けています。
大人(意識)同士が話し合って角が立たないような対人スキル(内部整合性をとる)も持ち合わせています。
しかしながらそれぞれ独自の成功体験のうまみや失敗体験の苦さにも縛られていて、子供たち(無意識)がいくら正しい状況を伝えようとしても、自分の経験に沿った企画書にマッチしていなければ無視するか聞かなかったことにしてしまいます。
最初に結論ありきという悪い癖があるわけです。
また基本的に大人(意識)の方が声が大きいため、大抵の場面では意見が通ることになります。

ときどき子供の言い分を思い出し、それによって全体の枠組みが変わったり(気づいたり)しますが、現実的にはごくまれな現象と言えるでしょう。

さて上の対談で池谷氏は「無意識を鍛えよ」と述べています。
上の例えで言えば子供たちの声を国会へ!みたいな感じ(?)かも知れません。
では私は子供たちがてんでんばらばらに発する声をどうしたら治良に取り入れられるのでしょうか。

今までは無意識に主導権をとらせようと意識の出しゃばり(声)を小さくし、結果として無意識の動きに任せるような感じでいました。
これはこれで間違いではありませんし有効な考え方であると今でも確信しています。
ただ、もうひとつ物足りないなと感じてもいました。
それは単に今までの方法に飽きただけかも知れませんが、無意識が成長し記憶サーキットに参加をするようになった果ての「意識」を排除するというのは、何かが違うのではないかと感じ始めているのがその真の理由のように思えます。
まあ意識が適当な言い訳をしているだけかもですが(笑)。

とりあえずあれこれ考えていた結果出た現状での答えが「意識と無意識の統合」でした。
なんか陳腐というかどこかで聞いたような文言ですが、あくまで自分の言葉として出てきたものです。
イメージ的には「いつも心配ばかりしている(少なくとも私はそうです)意識という大人を落ち着かせ、めいめい適当なタイミングで発言したがる子供も同様に落ち着かせる」という感じでしょうか。
両者ともに落ち着けば、それぞれがお互いの言い分に耳を傾けることが出来るようになる「気がした」ので、実際に試してみました。
結論から言うととても良いアプローチができあがりました。
クライアントの体(あるいはそれ以外)が「ここをこうしてほしい」と話しかけてくるのがわかる、と言えば良いのでしょうか(妄想ではないはずです・・・・多分(笑))。

唐突ですが以下に書くことは誓って営業用の文言でも自己擁護でもないことを最初に申し上げておきます。

上記に書いた方向性を用いるようになってもうひとつわかったことがあります。
それは「最近喧伝されるように脳の方向転換だけが鎮痛の主役ではない」と言うことです。
鎮痛に脳という臓器の方向転換が必要であり、それは手技によるアプローチよりも励ましや同調と言った「言葉の力」が喧伝されるほど”絶対”に近いとすれば、私たち徒手矯正家の命運は近い将来断たれることになります。
ただ正しく気持ちを宥めるのが得意とはとても言えない私をはじめ、良くも悪くも職人気質な人間が多いこの業界のアプローチ(方法論ではありません)が平均的に見てそれほど鎮痛に役立っていないかと問われると「そんなことはない」と言う考えに思い至ります。
都合の良い思い込みを可能な限り排除してみてもやはりその考えは消えません。

(専門家を名乗りながら恥ずかしい話ですが)少し考えてみればこれも当たり前なことです。
例えば潜在的炎症(と言う言葉があるかどうかわかりませんが)による知覚系のオーバーシュート、あるいは関節付近の腱内蔵センサーの疲弊による低応答性などは、周辺センサーとの齟齬を生じさせ、小脳→対側知覚野と運動野の連携に問題を生じさせる素地となります。
こんなケースにおいては脳の警報系を宥めている場合ではなく、末端システムの適切な安定誘導が優先されることになります。
また脳の疲労から生じたこうした問題でも、どちらが主役になっているのかはその時点を調べてみるまでわかりません。

ここしばらく脳の機能やそれらがもたらす影響についての勉強がメインとなっていました。
これらはとても有意義で、これからの治良を考える上で欠かせない知識、経験となって私の中に根付いています。
また人という不可解な存在を考える上でも大変頼もしいものであったことは間違いありません。

同時にこれらの「理論」と今までの知見による観察が導き出す「論理」はやはりまだ完全に一致しておらず、自分がまた知らず知らずのうちに「脳が主役」という思い込みを勝手に作っていたことに恥ずかしさを憶えます。
一見穴のない言い分は疑ってかかれ。
ある先生に教えられたことを遅まきながら思い出します。

無意識の大切さに気がついたのは私にしては上出来ですし、意識のおさめ方に思い至ったのもナイスアイデアではあると思います。
ただし自分が元々思い込みの強い人間であることを忘れそうになったのはいただけません。
それこそ無意識の経験を最大限に生かして、今するべきコトを通して自分が探しているところにたどり着きたい。
改めてそう思っています。

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