正常な異常と異常な異常
正常な異常と異常な異常
何やら早口言葉のようですが・・・
よくあるあるいは”想定内”の問題は常に私達の身体に起こっています。
心理的負荷は血糖値を始めとした血液成分を大幅に上昇させうる要因ですし、怪我をした時に起きる炎症反応もないと困ります。
単独で見ると好ましいとは言えない反応も、ある流れの中で起きるシステムの正常なリアクションだと考えると合点がいきます。
ただこれらの「当たり前の生体反応」も回復期間内に重ねて起きるとなると少々事情が変わってきます。
例えば血液性状の急激な変化は、緊急状態に対する私たちの適応反応といえますが、何度も繰り返していると血管壁に少なからず損傷を与える原因となり得ます。
しかしこれらの「因果関係がわかりやすい問題」は、その結果であるところの反応も、いわば”一次反応”とも呼ぶべき階層構造であり、原因を直接何とかすることで解決しうる問題でもあります。
私はこれらの問題を「正常な異常」と呼びます。
症状は強く出やすく、身体の抵抗も強いですが、早めに元に戻る可能性が高い問題群と言えます。
治良も割とストレートに、つまり診断と治良方針が決めやすく、その結果をみる時期も早めです。
対してそれららの反応が続いて、身体が抵抗を諦めつつあるような状態もあります。
ストレスに対する生理状態が馬力を出せず、少し息切れを起こしている状態と考えられる時期です。
上記の「正常な異常」を抵抗期と呼ぶなら、これは疲弊期とも呼ぶべき時期で、しかしまだ回復の余地があります。
主に副腎の機能を評価することで予想を立てますが、たいていは慢性状態への移行期と重なります。
ここで無理をすると後で面倒な事になりかねません。
しかし私達のような「なんだかよくわからないと思われているセラピー」を受けに来る人は、大抵これ以降の状態になってからのことが多いようです。
慢性状態というのは、身体としては出来れば解決しておきたい問題と不本意ながら折り合いをつけて同居しているようなもので、自力ではどうにもならなくなったものをある範囲に囲い込んで隔離しておくことに似ています。
自力では治せないほど大きな問題であり、しかしどこにも持って行きようがなく囲い込んで知らんぷりを決め込んでいる。
まるで政府が国民にしている借金(国債)みたいなもので、今さらどうしようもないから放置だ!という話に少し似て・・・・いるような気がします。
これは幾重にも問題が重なりあい、概ね原因と結果が一直線で結ばれておらず、しかも治癒反応を起こすにあたってシステム全体を揺り動かすほどのエネルギーを必要とします。
私はこれを「異常な異常」と呼びます。
人事にように書きましたが、多かれ少なかれみなこのような問題を抱えているといっても過言ではありません。
そしてこれらの問題が徐々に機能や構造に制限をかけ続け、いつの間にか少し面倒な問題へと発展してゆきます。
しかしまだこれでも異常シグナルを発するうちはよいのですが、全く無自覚へと移行するとちょっとやそっとでは反応しなくなります。
こうなると本格的な体質改善が必要となりますが、逆にここまで進行していると治良に訪れる人はすくなくなります。
症状がないから無問題、ということらしいです。
勿論専門外のことに関して、人間は多くの注意をはらうのが難しいのでそれもあたり前のことかもしれません。
それで案外そのまま寿命を迎える方というのも多いのだろうな、と私は予想します。
多少の機能低下を除けば特に不便を感じないというのは珍しくないからです。
長い間の異常に対して身体は注意信号を発しなくなりますし、構造的な制限も最初は違和感があってもそのうち「これが当たり前」と身体が認識すればさほど不便はなさそうです。
これは個々人の体質や体力に関係しますが、このように異常があっても意外と平気、というケースもあります。
治良というケアを行うにあたり、私はそのような「異常な異常も慣れれば身のウチ」という状態の多さにびっくりしたことがあります。
つくづく人間の体とは不思議なものだと感心します。