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医学における科学

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医学における科学

1905年はかの有名な物理学者アルベルト・アインシュタインが現代科学における重要な概念に関連することになる3本の論文を発表し、のちに「奇跡の年」と呼ばれるようになりました。
ひとつは言わずと知れた特殊相対性理論について。
2つ目は「神はサイコロを振らない」と否定した(したかった)量子論に関する重要なサジェスチョンであり、彼のノーベル賞受賞対象でもある光電効果ついてのもの。
そしてもうひとつはブラウン運動を通じた統計力学に関するものです。
もちろんこれらの原文を読んで「すごい」と思えるほど学も知見もない私なのですが、幸い現代はこれらを分かりやすく説明してくれる人が沢山いて私でもわかるような解説もありますのでそれらを読んでみると・・・
ブラウン運動において粒子一つ一つの動きは完全にランダムで予測が事実上不可能だが、全体としてみると時間経過と共にこんな感じになる、或いはその確率がかなり高い。
微視的にはこれこれこうだ、ということがわかっているのでそれを基礎に細かいことを色々均してみて全体を見ると大体こんな感じの未来が予測できる。
いってみればそんな内容を説明したものらしいですが、これが実は現代医学においてはとても大切な役割を果たしています。

コクランレビューに代表されるEBM(根拠に基づく医療)を主導する考え方は“できるだけ沢山のケースを集めて比較対照しさらにそれらを分析解析する”ことで成立しています。
この時統計力学を用いて細かい凸凹を均し全体としての傾向を導き出します。

例えばですが、ある方法で高かった血圧が適正レベルまで下がったと主張する人がいるとします。
それが運動でも睡眠でもいいのですが、こうしたら下がったと経験を語るわけです。
もちろんこれ自体は「そうですか、それはとても良かったですね」と一緒に喜んであげるべきでしょう。
そしてその方法はその人にとっては紛れもなく降圧作用のある方法なのだろうと推測できるわけです。
問題はこれをいきなり一般化し「血圧を下げるためには~をしろ」と言うときに生じます。
これが「睡眠をとれ」というなら実害が事実上なく出来る出来ないはべつとして有益だからまだ良いのですが、「塩をとれば下がる」と言い始めたらちょっとなあとなります。
塩の過剰摂取はあらゆる研究で血圧コントロールにおいて不利な要因とみられています。
一方で塩分不足が原因で電解質バランスを崩し血圧が上がる「個体」がある可能性は否定しきれませんが全体から見ればごく少数或いは例外的であるとなります。
つまりこの場合塩を沢山食べて血圧が下がったのはその人だけ或いはごく少数のケースにおいてでしかみられない現象であるとするのがEBMを重要視する現代医学の見解です。
最近で言えば新型コロナワクチンに関する議論などが該当するでしょうか。
自然科学の出した答えが信じられないというなら別ですが、かのワクチンは感染や感染後のリスクを有意に下げているのは間違いがなく、全体としてみた場合明らかに「新型コロナに対しては有益(この言葉の定義は今はおいておきます)である」と結論できます。
しかしながらそれ以外の健康リスクの増加や不幸な結末に至る個体があることも(おそらく間違いのない)事実で、個々人のリスクは永遠にゼロにはなり得ません。
そしてこれを持って「ワクチンは毒である」とか「ワクチンは陰謀の産物である」とするのはこの議論の本質からはズレたところで感情論(主観)をぶちまけているに過ぎません。
同時に「大半は安全なのだから打つべき」「打たない人間は非科学的な思考しか出来ない」などの批判もなんの役にも立たない主張を科学を装って押しつけているだけです。

ワクチンの例で言えば先ずどの視点から主張しているのかをはっきりさせる必要があります。
感染によるリスクを全体として下げるという公衆衛生の視点なのか。
個人の様々なプロパティを完全に把握できないまま接種させること、つまり個人のリスク管理の視点から語るべきなのか。
前者であれば,特によく人と接する人たちに関しての答えは「接種させるべき」であり、後者であれば自分の様々なリスクとベネフィットを勘案し「有効性を前提によくよく考えた上で自己責任で」となるでしょう。
どちらも強要されるべきではありませんし批判すべき様なものでもありません。

話は少しズレましたが、個々の細かい差異をいろいろなやり方で均した上で全体として「こういう傾向がある」と示すのが統計力学であり医学における科学の重要性と言えます。
ちなみに”根拠”にもレベルがあり、最も低いのは個人の経験や感想で「そうなんだ」程度の認識となります(これはこれで重要ですが)。
大抵は母数を多くすることで信頼度は上がってきます。
エビデンスとして認識してもらえるのはコホート研究と呼ばれるものからです。
過去の傾向を調べなおす(レトロスペクティブ)か、ある程度原因の目星をつけて対照群と比較しながら集団を長期にわたり観察する(プロスペクティブ)方法です。
その上は無作為二重盲試験とよばれ、予め乱数表などを使って2つの群に分け、それぞれ受ける側も実施する現場の人間も有効な方法を実施しているのかプラセボ群なのかを知らないまま行われます。
さらにこの上にメタアナリシスやシステマティックレビューという信頼の置ける研究をまとめて大規模な傾向を探り出す方法です。
現代においてこれが最も信頼の置ける“エビデンス”であり、標準的医療のガイドラインを形作るものとなっています。
ただし何度も書きますが、個々人つまり「あなたにとってはどの程度効くのかorダメージなのか」という所までは完全にカバーすることは事実上出来ません。
これを医療の不確実性と言います。
アプローチのもつ効果を主に生化学的な見地から立証予測はできても対象である私たちのもつ全ての特性や属性をそろえることが出来ないからです。
特定の薬は全体としてはこれこれこのような効能があると言っても差し支えないと言える。
しかし個々人に関しては当然効果があったり無かったり、或いは副作用がどの程度出てくるのかを完全に予測は出来ない。
これが医学における科学の現状であり限界でもあります。

さてでは翻って自分のしていることはどうでしょうか。
私たちのような手技療法家が主張する大半はこの「個人的な経験」をベースに少し一般化し医学っぽい言葉でコーティングした「独自の理論」に基づいたものです。
標準と呼べるような確固たるベースがあるとは言えず、基礎的な医学知識を習得した上で個人の感覚に頼る部分が大きな割合を占める方向性を持ちがちだからです。
~したら“治った”から自分の理論は正しい(はずだ)と考える。
しかしそのほとんどは単なる経験談ベースの主張であり、エビデンスと呼べないのはもとより一般化すら難しいものがほとんどです。

一方で確かに“その人が”施術を行えば効果を感じられるし場合によっては「治った」と言える状況になる。
でも同じようなやり方を他の人がやっても今ひとつ効果がない。
以前にも少し書いたようにあくまで自分の中での解釈がベースになっているのでそれはごく当たり前のこととも言えます。
要は私たちの業界はその効果をもたらすアプローチが多分に属人的であるため、基本的に標準医学の定めるところの「エビデンス」という考え方とは相性が悪いのです。
少なくとも方法自体を吟味される方向性とは相容れないと言えるでしょう(私が知らないだけでそういう“一般性”を持つ方法もあるかも知れませんが)。
なので多人数で一定の方法をとり,その結果を評価されると途端に「効果無し」とされるわけです。
数十年前に「三浦レポート」と呼ばれた調査報告があり、その際脊椎矯正一般には効果がないというような評価が成されました。
宜なるかな、です。
ですから我々を評価するには

・一人の術者が多人数を施術する
・対照群は同じようなやり方で別の人が施術する
・評価は「その人の施術が有効であるかどうか」を軸とする
・有効か無効かの判定基準は「楽になるかならないか」であり、受けた人の主観でかまわない(そもそも“治った”の意味が標準医療とは違う)
・私たちはあくまで調整の専門家であることを念頭に置く

となるでしょうか。
方法論そのものの評価は(ほぼほぼ)意味がないので、あくまでその施術者が有効なアプローチを使っているかどうかに絞るべきでしょう。
もっと言えば施術者個人が有効なサービスを提供できているかどうかを評価すべきです。
ちなみに施術を受ける際、その方法が「正しいか正しくないか」はやはり意味がありません。
その施術が「今のあなたにとって必要か不必要か」が判断基準になります。

医療業界も科学者にもいろいろな人がいます。
私たちの方向性は「個人の利益を最大限に」という基本原則を持っています。
ただし「個人の利益」がこの場合においてはお金を含む利権なのか。
はたまた他人の情報で構成されている自身の内部における整合性や公正さなのか。
完全にどちらかしか持っていない人間の方が珍しい。
私はそう考えます。
そして大抵現場の人間は後者に突き動かされています。
それこそ細かい違いを無視して均してみればそれは真実であると言えるでしょう。
陰謀論も良いですし病院(実は私も苦手です(笑)や科学の不完全さを嫌うのもかまいません。
一方で私たちは思いこみが先行する生き物であるという事実に鑑み、自然科学の出した答えをハナから無視するのは得策ではないと改めて申し上げる次第です。

再三再四書きますが細かい部分(個々のプロパティなど)を均して全体としての傾向を見るのが統計という考え方であり、私たちの健康を考える上でも非常に有効であることに疑いの余地はありません。
現代の私たちを取り巻く状況はこのことを少し考慮すべきものであると私は考えます。

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