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仏教概論:番外編2026

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仏教概論:番外編2026

執着ってなんだ?

このまえGoogleのAI「Gemini」にあれこれ質問をして見たのですが、

私「執着って脳の生成する反応への"居着き”なんでは?」
Gemini「「執着とは脳の自動反応への居着きである」というお考えは、現代の神経科学における**能動的推論(Active Inference)**や、仏教哲学における「五蘊(ごうん)」の概念と驚くほど一致しています。脳はエネルギー効率を優先するため、一度「これだ」と決めたモデル(イメージの連鎖)に固執し、予測誤差を埋めようとします。それが苦しみであっても、脳にとっては「未知の不安」より「既知の苦痛」の方が計算コストが低いわけです。」
と言う答えが返ってきました。
注目したのは後半の「脳にとっては未知の不安より既知の苦痛の方が計算コストが低い」という部分です。
私の治良を行う上で最もやっかいなのがこの"居着き”で、別の言い方をすれば「決めつけ」というやつです。
何度も書いてアレですが、私たちの脳は「入力された感覚データを元からある前提イメージと整合されられなければ認識できない」性質があり、ここに議論の余地はありません。
一方で治良中に生じるイメージは(私からすれば)カオスそのもので、当然そのままでは奇妙に変化変動する動きとしかとらえることが出来ません。
どこがどう変化しそれは自分のイメージで言えばどのようなものかを確定しようとした瞬間、全体の動きは(私にとっての)リアルさをもって浮かび上がってきますが、それは先ほどまでのダイナミックなものではなくごく限られたエリアに生じる「自分がすでに知っているパターンの一つ」に成り下がります。
私の脳はこれで"ほっと"するわけですが、治良の精度或いは効果は幾分下がるように私には思えていました。

執着を捨てろと言うけれど

この執着(しゅうじゃくと読むみたいです)そうそう簡単にポイできない。
人間の歴史を見ればそんなことは一目瞭然ですが、自分自身でももちろん出来ない、ちょびっとでも出来たことすらない。
なぜなのか。
脳内で起きている反応は脳が自動的に生成するものであり、個人の思惑が先行して起こしているわけでは(原則的に)ありません。
ではなぜそこに居着く、或いは居着きがちになるのか。
Geminiも答えていますが苦悩を含め自分になじみのある情報を扱った方がエネルギー効率的にマシだからでしょう。
どこにもとっかかりが見えない、つまり私たちの前提とはまるで結びつかない事象をそのまま扱おうと思うと非常に不安定なイメージを受け止めることになります。
もちろんどうあつかってよいかなどわかるわけもなく、脳内エネルギー事情からすれば厄介者以外の何ものでもありません。
それを避けるために自分の知っている情報に加工する、或いは引き寄せる。
つまり執着とはやはり「脳の基本性質が生み出すやっかいな反応」であり、原則的に捨てることなど出来ないモノだということがわかります。
だから「捨てろ」という説教は脳側からみると「無理なんだなこれが」と答えるしかなくなります。
言ってみれば「お前の目玉がものを見るから悩むんだ、目玉とれ」と説教してみたところで「うんわかった」という人などいないようなものです。

ここまで書いていて自分が初期仏教フリークなのにどうして現代(大乗)仏教に興味を示さないのかがわかってきました。
前者はまず説教を目的としているわけではなく、心という現象の構造を詳細に分析解析して苦に対する具体的な解決法までを提示している(やるかやらないかは問わない)
後者は「執着を捨てろ」と言うだけでなぜそれが起きるのか、それを解消するための具体的な方法論がわかりづらい。
捨てられないのはお前がわるいという(ように思える)
理由の一つとして考えられるのは基本的に自我という幻のようなものがあり、それを保持したままどのように生きるのかを前提としている(気がする)
なるほど個別案件やら非原則論だと途端に興味を失う私ならではの問題だったというわけです。

ただこれもGeminiが答えていましたが、執着つまり思考の流れに居着くことに対する対症療法はあるし比較的実行がたやすい方法もあるようです。
一つは生じたイメージをただ眺める、です。
これは私が昔から使っている方法でもあるわけですが、そこに意味をつけたり評価したりせずただただイメージの流れを眺める。
そもそも自分の中にある前提と結びつけられないので認識しようにも出来ず奇妙な動きや流れとしか思えなくなります。
現状に対する脳内整合性をとるために格納してあるイメージを連鎖させて物語(ナラティブ)を紡ぐことを思考と呼ぶなら、認識できないイメージは思考の外にしか存在できません。
つまり居着く対象を作り出せなくする、と言うわけです。
これの欠点は私のように施術を生業としていると「カルテになんて書けばいいのかわからなくなる」でしょうか(笑)
あとは基本的に脳が嫌がることをするので毎回自分に言い聞かせなければはじめられない、とか。
最近は手順を言葉でラベリングしてすぐに準備できるようになりましたが、最初の頃は手順書を作ってそれを1から実行したりしていました。
すごく執着の強い人間ですね、私は(笑)

というわけで今回も人工知能に大変お世話になったのですが、根源的な苦悩(無明)を解決してくれる方法を今度聞いてみます。

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