仏教概論32
仏教概論32
仏教概論32
「仏教って誰も何も救ってくれないんですか?」
あるクライアントから発せられた質問です。
「先生のサイトを見ているとそうとしか思えません」
そう力説されました。
しょうもない書き込みを良くもそこまで読んでくれたものだと感謝と驚きをもって聞き、そして概ね以下のような回答書をお渡ししました。
仏教の開祖にして仏陀(目覚めた人)である釈迦(釈迦族ゴーダマシッダールタ)は、とにもかくにも自分の悩みに翻弄されていた人でした。
20歳で初めて外界(宮殿以外の世界)を見、そこで出会った避けられない未来(老・病・死)に衝撃を受けます。
しかし同時に「修行中の僧」にも出会い、絶望の中にもわずかな光を見いだします。
それから妻帯、子供(障害を意味するラーフラと名付けたそうです)も生まれますが、29歳の時に家督も妻子も捨てて出家(逃亡)します。
以来心身を痛めつける苦行に精を出しますが、それによって死にかけていると近くに住むスジャータという娘が乳がゆを恵んでくれます。
これによって回復した釈迦は「苦行で真理を見つけるのは自分には無理」と見切り、瞑想によって菩提樹の下で“目覚め”ます。
この時釈迦は35歳だったと伝えられています。
それ以降は弟子が勝手に増え続け、気がつけば真理到達のためのメソッドとそのためにルール作りをしていました。
80歳オーバーで生を閉じるまで、あちこちに出向いては修行の方法を教え続けました。
基本的にこの一生の中で「こうすれば救われる」と、簡単な方法論を説いたことはなかったようです。
なんと言っても彼が確立したのは「自分を正しく知る」方法だったのですから。
苦の原因を(当時としては可能な限り)微分し、それに対する解決法としての修行(瞑想)を支持し、それを持続可能とする集団生活やルールを伝え続けたのです。
さてこの修行生活は、いろいろな面で厳しいもので、律と呼ばれる集団生活ルールを破れば最悪破門で、修行集団から放り出されます。
食事などの基本的な面でも制約があり、現代生活の利便性を享受しまくっている私にはとても無理!と言ったものです。
またこの「修行優先システム」は、基本的に外部に生活の糧を頼るもので、「自分たちは修行だけをしたいので、日々の糧秣はよろしくね」という、現代人から見ると「ふざけんな!」という前提の上に成り立っていました。
しかし当時の社会は彼らのような「修行している人」に親切で、「聖人」として生きているうちはなんとかなったのです。
だから釈迦は「そういうふうに思ってもらえるようにしなさい」と、厳しいルールを制定したと言われています。
そんなこんなで「一緒に瞑想を続けられる人たちのためのコミュニティ」で、それぞれが釈迦の出した難解なイメージに近づこうと悪戦苦闘していたわけです。
ですからある程度理解力や体力が無いとはじめられない生活でもあったわけです。
例えば体力に決定的にないとか、あるいは脳に障害があって理解がおぼつかない人たちは最初から門前払いされることだって考えられるわけです。
というわけですべての人が救われることはない、と言うのが初期仏教における基本的なスタンスだったと考えて良いでしょう(と言うかそんなものは最初から想定していない)。
何しろ自分の悩み解決、その延長線上にある好意から来る行為だったのですから。
釈迦の死後数百年たち、特に中国独自の文化と混じり合い、現在私たちが日常的に接している大乗仏教が萌芽します。
ここで少し釈迦の主張との齟齬が生じ始めます。
釈迦は苦の原因である「自分という幻」を論理で徹底的に解体し、行き着いたのはのちに龍樹(ナーガールジュナ)によって結実する「空」という発想でした。
今感じている自分という、私たちが当たり前に持つ感覚をも「違うから」と否定したのです。
実体を持たないものを実体視することが最初の間違いなんだから、と。
ところが大乗仏教と呼ばれる思想発想は、これらの認識に「主体」というイメージを持ち込みはじめます。
心や客体の実体視というわけです。
超絶難解である釈迦の考えを、凡人よりに解釈し直した結果とも言えます。
出来たのは苦の原因を残したまま行われる古い修行メソッドがもたらす混乱でした。
そもそもがある程度健康で体力があり、理解力もそれなりに備わっている人向けの発想や方法論なので、混乱の時代で混迷している(つまり人類史のほとんどですね)人たちに実行しろという方が無理なのです。
しかし釈迦という人の良いイメージだけは伝わるものの、その真意を理解するにはあまりに混じりけが多すぎた主張に触れた人たちは、とりあえずそれを日本に持ち帰ります。
最澄や空海といった当時のスーパースターたちの活躍もあり、政治的な利用価値も高かったため、よくわからない形で日本に根付いていったのが今の仏教と言うことになります。
この時代の仏教は一神教に見られる「救済」の思想を強く前面に押し出し、瞬く間に民衆に浸透してゆきます。
そして簡便な方法、多くは称名によって死後浄土へ導かれるという単純さを前面に押し出しました。
少し話を脳科学の方へシフトします。
島皮質という神経核が脳の深部にあります。
これは体中からの感覚入力を受けています。
後部では客観的な評価を、前部で過去の記憶との照合、合流を経て主観的な評価を行います。
また左半球よりも成長が早い右半球の方が優位とされ、言語中枢や論理的な思考が可能になる前の段階で、体性感覚を収集していると考えられています。
それゆえに自分の内部で何が起こっているのかを正確にキャッチしていて、それを効率的に利用するために発生する「意識」を作るメインモジュールであると言われています。
実際にはコマ送りのように「瞬間瞬間の認知現象」でしかない反応は、それが連続することによって「途切れることの無い自分という存在」をイメージさせています。
また帯状回とのやりとりによってこのネットワークは強化され、システム全体で「今の自分」という幻想が強固なものとなってゆきます。
この「自己意識」という現象はもちろん私たちが生き抜く上で間違いなく最強の武器となるのですが、同時に外敵による侵襲がなくなりつつある現代では、場合によっては「過剰なシステム」として私たちを苦しめる背景の一つとなり得ます。
釈迦はこの脳内で発生する“あるはずの無い自分という幻想の実体視”をことのほか強く戒めました。
しかし彼の死後、現実は戒めを破る方向へ流れてゆきます。
釈迦がないとした「心」の実体視と、それに対するコントロール方法が研究され喧伝されるようになります。
沢山の研究がなされ、実践的なコントロール方法が生み出されますが、そのほとんどは釈迦の主張からわずかに、しかし決定的な変化を内包していたのです。
当然メソッドがもたらす苦からの解放という目的も忘れられ、徐々に実効性が失われてゆきました。
人の心の構造や、認知の歪みがもたらす苦へのステップが単なる「標語」のように扱われたため、なんのために瞑想するのかがわからなくなった結果です。
何度も書きますが私は大乗仏教がだめ、と非難しているわけではもちろんありません。
そのあまりに(私にとって)茫洋とした主張に私自身が何も見つけられなかったけれど、初期仏教と呼ばれる釈迦の主張に触れて色々納得できた。
ただし改めて勉強してみると後発ゆえの強みも感じられるし、何より行くとこまでいけない私にとってかえって扱いやすい考え方も大乗仏教の方にはある。
本質として勉強してみたいのは初期仏教だけど、大乗仏教の発想も現実的かつ実践的で沢山の人の知恵が詰まっていると思われる。
どちらが正しい間違いではなく、どちらが今あなたにとって必要かで方向性を決めて下さい。
一部書き換えてありますが、だいたい以上のようなことを書きました。
今回自分の主張を改めて書いてみたことでまた一つ腑に落ちた感じがしました。
Sさん、ありがとうございました。