不思議な体験
不思議な体験
ここ最近、心理セラピストとして開業を目指す(もうすぐプレオープンしますのでそのときは改めてご紹介いたします)友人と、色々勉強会を開いています。
目的は同じようでありながら、その考え方やアプローチはかなり異なっており、とても勉強になります。
そんな中、つい最近少し珍しい体験をしました。
友人のセッション、そのときは私が過去に感じたであろう気持ちを再体験させるためのものでしたが、の中で、私が胎児であるときに感じていた(と思われる)感情の揺れを感じていました。
そのときに母親の感情にも振り回されている(あくまで私の解釈ですので念のため)自分も俯瞰していました。
そして友人が「今から三つ手をたたくと、あなたはお母さんの感情から離れる」と言いました。
私が単純なせいもあるのでしょうが、本当にその振り回され感(?)から離脱できました。
本題はここからです。
上記のような経験”まで”は今までのセッションでも体験していました。
しかし今回の一つ前のセッションでかなり強固な、恐怖を伴うような記憶とともに、それ以上の介入を拒むようなイメージが喚起されていました。
それは「ここから先には踏み込むな」という自分自身の警告だと思われたのです。
それくらいこじ開けられては困るような何かがあるのだろうと、そのときはそれ以上進むのをあきらめました。
が、今回は少し毛色が違いました。
友人の言葉の誘導に従ってそれ以前、少しオカルティックですが、の記憶と思しき意識そしてそのとき目に映ったであろう情景がかなり鮮明に「思い出された」のです。
それはどこか高い山の上から日の出を眺めている情景で、なんだか神話に出てきそうなイメージを伴っていました。
その光景をただ眺めていると、その朝日を眺めている自分は自分で選んで母親の子として生まれてきた、と言う明確な意識を持っているのがなぜかわかりました。
それは擬人化されたものと言うよりは、自分がより大きなイメージの一部として機能しているような感じでした。
それがうちの母親の妊娠に合わせて出張してきた。
言葉はおかしいですがそう表現すると非常にしっくり来るものでした。
私は基本的に前世、あるいは魂のリサイクルという概念には否定的な立場を取っています。
それはこれまでの経験、知見の積み重ねによるものですが、この稿を書いている時点でも懐疑的であることには変わりがありません。
ですが不思議と今回のセッションではそれに対するアレルギー的な考えも出てこず、どちらかというと「妙にほっとした」という感触が優先しています。
それは帰るところがはっきりしたという感覚と、自分の中で"頭あるいは論理では否定しつつ、その実自分の根幹をなす感覚にマッチできた"という思いが一緒になって訪れたみたいでした。
負けてスッキリした、と言うのが的確かもしれません。
狭量な論理で強引に納得させていた自分が、心の奥の声に気づいておろおろしながらも地に足が着いた。
そうとも言えるかもしれませんが。
今回の経験は従来の"前世"に関する考えを覆す、までは行かないものの、世界観の枠組みに部分的変更を迫られそうな気がします。
大変貴重な経験をさせてもらって、その友人にはとても感謝しております。
ありがとうございました。