バカになる
バカになる
治良という行為を行う上で、最も大切な心構えと言うか気持ちの有り様だと私は考えます。
ただ字面がちょっとあれなので、薄々自分の馬鹿さ加減を自覚している私にはとてもハードルが高いものでもあります。
人は自分の自覚している恥部を指摘されたりすると平常心ではいられませんから(笑)。
小賢しい知恵を振り回して人や自分の生きざまを語らず、ただただ自分よりも”正しい選択をしてくれる何か”に心身を預ける。
そうすればほとんど確実に幸せになれるとわかっていても、なにか納得が行かずにあれこれ小細工をしてしまう。
こういう心持ちになる人はきっと私だけではないはずで、しかし結局一生しょうもないことに悩んだりイライラしたりしながら過ごしてしまう。
傍から見ているとずいぶん効率の良くない生き方だなと思うのですが、我が身を振り返ってみると何のことはない、自分の批判がそのまま当てはまる生き方をしたりしています。
結局それが”普通の”人生だとわかっていてもなかなか諦め切れず、ないものねだりをくりかえすのが凡人の凡人たる所以なのでしょう。
信仰というのはこういう凡夫に「お前、じたばたしないでこれやってみなさい」という、人生やり直しマニュアルみたいなものなのか、と50を前にして思う次第です。
まあしかしそれさえも「そんなモノいまさら出来るか!」とつばを吐いてしまう。
つくづくアップダウンの多い人生になりそうだなと感じています。
例によって懲りもせずに「自分だけでこの問題を解決できる方法はないか?」と自問自答してますが、当然のように解決策は見つかっていません(笑)。
もしくは上記の、つまり「馬鹿になるのが最良」という論理と言うか理論を超える論法はないのか。
一度この考えに捕まえられると、魅力的な考え方故になかなかその枠から出ることがかないません。
どなたかこれを超える理屈をお持ちの方、ご教授をおねがいいたします。