越田治良院へようこそ あなたのココロとカラダをリセット

Case2-2

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Case2-2

これはひとつの例えですが、本人は体力があり、食欲が基本的に旺盛なタイプだとしましょう。
そこに「食事はエネルギー補給で、腹八分目もしくは空腹の方がよい」という教えをすり込まれてきたとします。
カラダが食事を楽しんだりより多く食べることを望んでいるのに、頭が決めた行動はそれを許しません。
またココロもカラダの要求を実行することが必要だと判断しても、頭がやはりそれを否定します。
ココロやカラダの声に少しだけ耳を傾けてみるならわかったことだったのかもしれません
しかしそうしてはならないと考えたのか、はたまたその術を知らなかったあるいはその両方か。
いずれにしても“本心”に封をしたままここまで来てしまったようなのです。
もはや習い性という奴で、表面上本人も含めてまったく違和感を感じませんし、感じたとしてもそれにふたをすることが癖になっています。
本心もわからなければ、それが原因で起きる衝動や感情の揺れにもふたをする。
悩む、というのは理想と現実のギャップが引き起こすものですが、カラダやココロの要求がことごとく押さえ込まれると、現実そのものが「現実味の薄いもの」でしか無くなります。
現実の行動(頭の決めた行動)と実感(カラダやココロの納得度)がかけ離れているからです。
「お腹が減ってたくさん食べたくても食べてはいけない、だからその気持ちは無視して運動をして紛らわそう、でも私は空腹を紛らわしたくてしているんじゃない、なぜなら空腹を嫌うのはよくよくないから、体を鍛えたいのだ、きっとそうだ、それ以外に運動に熱中する理由がわからない、・・・」などと考え続けるうちに、思考そのものがどんどん心身の要求からかけ離れて一本調子になる、というわけです。
違和感の元を自らに問いただそうにも、自分の考えを省みるという習慣もなく、それを俯瞰する余裕がないので、なかなかうまくいかずに前進も後退もできない。
そのうちに思考そのものの動きがとれなくなる。
そのヒトは食欲を我慢していたわけではないですが、パターンとしては似たようなものであったと考えられます。
その後そのヒトは何か考えるところがあったようで行動を起こす準備を始めたようです。
治良師として「がんばれ!」と声をかけたくなる、そんな表情になっていたのが印象的でした。

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