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食欲について

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食欲について

日経サイエンス2013年12月号の特集は「食欲」でした。

その中で「食欲の暴走」なる記事が出ていました。

その要旨は「過剰な食欲は薬物依存に似たメカニズムによって引き起こされている可能性がある」というものでした。

私たちの業界、とひとくくりにしてしまうのはちょっと乱暴ですがおおむねそうであるという前提で考えるに、「体がほしがっているものはそのとき必要なものである」という考え方が結構まかり通っています。

健康な状態においてはそれも間違っていないのですが、食に関しての問題がこれだけ多い状況下ですべてがそうあるはずもなく、以前から不思議に思っていました。

最近制御系、特に中枢神経系の勉強をする機会が多く、その内容が進むにつれて「人間って案外脳のいいなりなんだな」という感想を抱くようになりました。

少なくとも今まで「意志」「感情」という、どちらかというと自発的に発生する”こと”によって起きていると思っていたことが、じつは脳内の伝達物質次第で簡単にひっくり返ることも少なくない、ということを学びました。

私たちの脳の中はきわめて複雑、そして決して単一ではない制御ラインによって高度な反応を可能とする命令が絶えず下されています。

その中で「報酬系」と呼ばれるシステムが存在しており、これは私たちの行動、思考に逐一モチベーションを与えてくれる、重要なシステムとなっています。

一方、食欲をコントロールするメカニズムとして、延髄弧束核から送られてくる内臓の一般感覚の情報があります。

これらが中脳腹側被蓋野に到達すると、ドーパミンの放出が随所に起きます。

ドーパミンはいわゆる「快楽ホルモン」と呼ばれるもので、快感あるいは高揚するような反応を促すと考えられています。

また意志決定に重要な影響を及ぼす前頭前野にも投射し、食による幸福感を演出します。

通常これらの広範囲に及ぶ反応は、適正な食事をとるために起きるものといわれていますが、昨今はやりの「クリーミーで甘い」食事、つまり過剰な脂質と糖分のコンビネーションは報酬系と呼ばれる神経核に、ある種の薬物のように働くのではないかと、日経サイエンスの記事には書いてあります。

こういった「快楽を生みやすい食事」は脳の中でどのように作用するのでしょうか。

これらを摂取することによって動き始めたシステムは、その物質が不足するととたんに不安定になるため、絶えず摂取することを脳が要求しはじめます。

いわゆる依存症というやつですが、興奮作用の強い行為にはこれがセットになりやすいわけです。

昔からよく言う「飲む、うつ、買う」というやつで、(広義の)ドラッグ、ギャンブル、(恋愛を含む)性の問題などです。

これらを過剰にたしなむことによって生じる、脳内におけるセンサーの数的増大は、それが要求する物質を常に放出させるべく、行為をエスカレートさせてゆくと考えられます。

記事を読むとその主役はドーパミンであり、また依存症と共通するメカニズムによって引き起こされるのが過剰な食欲であるという可能性が高いともあります。

もちろんドーパミンのコントロールだけで修正できるような問題かどうかは判然としないようですが、少なくとも強い影響を与えるメカニズムではあるようです。

さて、脳が命令する以上、それに抗うのはきわめて難しいのが私たち人間という生き物です。

つまりいったん「食の暴走」状態に入り込むと、適正な食欲に戻すのは容易ではないということですが、何か解決方法は存在しないのでしょうか。

治良師の視点から見ると

依存症の背景を形作るストレスの軽減
内分泌系の調整
・中枢神経系を取り巻く環境、たとえば硬膜の緊張の最適化

などが挙げられます。

ただしそう簡単に解決はしません。

しかしもう一つ興味深い話として、小腸の糖センサーのことがあります。

小腸には糖に対するセンサーがあり、これが膵臓にインスリンの分泌を促すとあります。

以前からいわれていたことですが、小腸は独自の免疫システムを備え、体幹における脳ともいうべき位置を占めているそうです。

またその機能を十全に発揮させるための方法論も手技療法には数多く存在し、こちらのアプローチの方がより好ましいと考えられます。

いずれにしてもまだわからないこともたくさんあり、生化学的データの示す意味も完全に解析されているわけでもなさそうですから、一つ一つ詰めてゆくしかなさそうです。

話は少し戻りますが、上記の「体の要求は正しい」という論調は、たったこれだけの事実からも整合性を失います。

少なくとも生化学的な安定性という観点からは、場合によりけりですが不十分であるとしかいいようのない論理ということになります。

個人がする自身に対しての「食」については現在我が国には法的な規制が事実上ありません。

私はそこまで方が介入すべきだとは考えません。

しかし「楽しければそれでいいじゃないか」という論調には全面的な賛同もしません。

究極的には満足は個人の中にしかあり得ませんし、それを追求することは当たり前だと思いますが、それが報酬系の絶えざる伝達物質供給というロジックに還元して語れるかどうか、私は未だ疑問に思っています。

正確には快楽というある種の興奮状態が、世に喧伝されているような形のものかという点について、その論理性が怪しいと踏んでいます。

不快を排除しつつも自分を見失うような興奮に陥らない、つまり充実感を伴った心理の平穏さを実現するような「脳状態」こそが、古来から賢人たちが求めていたものではないかと考えます。

もちろん現在、全くその境地に到達しておりませんが(笑)、日々研究中ではあります。

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