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道具主義

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道具主義 2011/07/19

これは要するに「説明がいかに荒唐無稽であっても、それによって得られる結果に実効性があり、かつ予想可能ならば問題なし」という考え方です。
さらにいうならば「観察不可能なことをいくら考えて見てもしょうがない。でもその理屈通りにやれば答えが出るならいいじゃないか」と言う考え方が根底にあります。

たいていの科学理論は仮説であり、さらに法則と呼ばれるものもなぜそのような振る舞いがおきるのかについては理解されていないものの方が多いとか。
量子論に至っては「よくわからない現象だが、これを矛盾なく説明するため」と称してたくさんの解釈が生み出されました。
コペンハーゲン解釈などはその典型ですし、しかもそれらは私たちの日常感覚からことごとくかけ離れたものです。

私たちの治療業界においても、これらの「無理な説明」はごく普通であります。
何らかのアプローチに対する細かい反応をすべて観察するのは事実上不可能ですし、それを医学、ましてや科学的に分析することはおそらく原理的に不可能なのではないかと考えています。
もちろん臨床家としてはそれで問題があるわけではありません。
どのような理論(あるいは主義主張)も実効性あってこそのものですし、説明そのものの科学性というのは重要ではありません。

他の分野に関しては今ひとつわかりません。
が、人体の好不調とその原因を考えたとき、特例を除けばある刺激に対する生化学的反応とそれがもたらす影響に関して、完全に再現性を持つ事例はごくわずかだろうと私は考えます。

ですから神経圧迫説 再びで述べたようなことは、本来は考え直す必要などないのかもしれません。
しかし異常の原因、あるいはその説明を絞り込みすぎてしまうと、なかなか全体像や必要な介入方法が見えてこないこともしばしばです。
神経圧迫説でいえば、すべての脊椎はまっすぐに並んでなくてはならない、と言うような思い込みを誘発しかねないと思うひとは少なくないはずです。
自説に絡め取られてしまうと言うリスクを考慮する必要が、私たちのような仕事では常にあるわけです。

このサイトに繰り返し似たようなことを書くのも、そんな自分を警戒しているため。
少なくとも理由の一つはそこにあります。

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