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記憶について 2

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記憶の影響 2

記憶、と書くとトラウマのような心理的外傷と混同されてしまいますが、ココでは自分以外の記憶と限定して考えてみます。
大概の人が想像するとおり、“思い”の強さと影響力はほぼ比例関係にあります。
ほぼ、というのはそれを定量化できないから「よくわからない」ものもある、ということです。

前回、記憶はそれを発信した人の体がなくなるといずれ風化する、と書きました。
これは間違いはないのですが、いくつか例外があります。
上述したようにあまりに強く思考されたものは、その発信源が消えてもそのまま物質のように残ることがあります。
芸術家が自らの内部で練り上げたものを形にした「作品」などはそのよい例でしょう。
作品自体の持つ、得体の知れない迫力や説得力というのはそういうものなのではないかと、素人のワタシは推測したりします。
同様に高い集中力と、そのために大量のエネルギーを必要とする強い思考(恨みや強い喜びなど)は、普遍的にその影響力を発揮する傾向があります。
「人間はそれを含めてのシステムだ」と考えればその通りなのですが、中には生理や心理に足かせのようにまとわりつく残留思念というものもあります。
正確に言うと普通私たちにくっついている残留思念は10や20ではきかない数なのですが、そのほとんどは無視できるレベルの弱い影響しかありません。
生物学的あるいは心理的に近しい人たちのものが大半で、人体という機械がその内部データを参照に作る仮想人格のようなものとリンクしているので、基本的に親和性が高いのです。
つまり大半は「事実上放っておいてOK」というわけです。

けれどやはり中には「なんだこれ?」というような、無視することができない検査結果が出ることもあります。
力関係でいうと物質である私たちの方が圧倒的に強力なのですが、広い範囲にわたって影響を及ぼし、検出が容易ではないものが多いので、特定して安定処理をするためには少しこつがいるとワタシは考えています。

いったんつかまえてしまえば処置そのものにはそれほど時間はかかりません。
時間をかけて丹念に手を入れ、安定させるだけです。

そんなものはない、という前にこういう方向の処理を試してみる。
馬鹿にはしないが必要以上に恐れるのもナンセンス。
記憶とはそのように扱うべきだと思っています。

記憶について 3

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