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記憶について

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記憶の影響

人の記憶、正確には思考ですが、はその程度にかかわらず私たちの生理や心理に影響を与えうるものである、と私は考えています。
「またおかしな事を・・」と呆れられるかも知れませんが、何割かのケースでそのように考え処置したときに出る結果を考えると、全部を「根拠無し」と片付けることが私にはできません。

さてこの思考(記憶)、生きている人のものとすでにこの世にいない方のものの2種類があります。
生きている人間のそれは出力も大きく、くるくるとその方向性も変わります。
言うなればラジオのライブ放送みたいなもので、聞いている(関連のある)人に何らかの影響が与えうるものである、と思われます。

対してこの世ならざる人のもの、それはその方が生前残していった“記憶”で、こちらの方は通常きわめて出力が小さく、影響を受けうるのはその記憶の持ち主だった人と生物学的あるいは心情的に近しい人たちに限定されることが多いようです。
これは前述の“ラジオライブ”に対して、CD-ROMなどのように書き換え不可の記憶メディアに焼き付けられた思い出みたいなものです。
これは本人の残したもの、作品のようなもので、見ても聞いても影響を受けない人の方が多い、そう考えてよいものです。
すでに焼き付けられた内容を変更する術がないので、放っておけばそのままですが、実際には少しずつ劣化しいずれ消え去ります。

ラジオもCDも“気持ちがその方向へ向いていない”と、耳元でがんがん鳴っていても「うるさいな」と思うだけで影響を受けるとは限りません。
ですがその発信内容が自分の悩んでいることなどと重なると、心理はおろか生理状態にまでが反応することがあります。

思考や記憶も同じで、出力の強弱に関係なく「波長が合う」状態だと簡単に取り込まれてしまいます。
パワーが小さくとも作用範囲が広く、検出が難しいこれらの負荷は影響から脱出するのがなかなか難しいモノの一つと言えます。

体調がよく、本当に意味での元気があるときはどちらの影響もあまり受けません。
ただ弱っていたり、判断が付かないことを抱え込んでいたりすると、おかしな反応を出すことも珍しくありません。

処置自体はあまりややこしいものではありません。

しかし注意するべき事があります。
それはこの問題が比較参照しようのないことである、ということです。
つまり「論理的に肯定も否定もできない」と言うことで、弱っているところにこの話をされるとそこから逃れることができないという危険性もあります。

というわけで私はこの問題をケースによっては肯定的に捉えますが、自分が弱っていると思う人は「そんなこともあるのか」と少し眉につばして聞いておくくらいでちょうど良いと思います。

記憶について 2

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