越田治良院へようこそ あなたのココロとカラダをリセット

精気

FrontPage
戻る

精気

「精」という言葉が男性の性的イメージを持つことが多いためやや誤解を受けることがあるようです。
東洋医学で言うところの精気は、私達の身体を養い維持してくれるもの、という意味です。
精力剤とは生きる力を補填してくれる物全般を指すので、男性的な力を増すものとは限りません。

五行論においてはその貯蔵は「腎」が行い、運用にあたっては「肝」がメインになって活躍する、らしいです。
ただし注意が必要なのは、東洋医学及び五行論の言う肝や腎は、現代的な解剖学のそれとは違い、主に機能的な区分を指すものとされています。
腎膀胱経という「経絡」が貯蔵においてはメインシステムとなる、と考えるべきでしょう。

治良において、この精気が完全になくなっている人というのはめったにお目にかかりません。
精気が完全に枯渇するというのはなくなる間際だったり、ベッドから起き上がれない状態なので、勢い治良に来るどころではないからです。
治良に訪れるのはこの精気がきちんと運用されていない、あるいは貯蔵が追いつかず、常にかつかつの状態であるタイプの方が多いみたいです。

そうなると「では治良というのは肝や腎の調整に終止するのか?」と聞かれそうですが、あくまでその時にメインシステムというだけであって、治良ポイントであると決まっているわけではありません。
当然他の経絡やシステム全体の観察が必要で、もっとも手助けを必要としているのは何かということを決定し治良する必要があるのは言うまでもありません。

では精気とは具体的にどのようなものをさすのでしょうか。

諸説ありますし、私は東洋医学のエキスパートというわけでもありませんので、治良上の経験から得た私見ということでお読みいただければ幸いです。

まずそれは身体という物理的な存在を養う、私達が普段取り入れているものが大きく関係していると言えます。
有り体に言うなら食べ物や水、空気といった要素がそのベースになります。
勿論光や音、触覚を通して伝えられる感覚などもあります。

そしてこれらが吸収可能な形に変換され、体の各部で活躍するに当たり、私達の身体を動かしている「何か」と混じり合い、そして「何か」を補強する形で還元されてゆくようです。
つまり食べ物などを気遣うだけでは不十分で、内面にある科学的な観察不能な要因が十分に安定的でないと、精気が必要十分な状態には成り得ない、と私は結論づけています。

さてではその内面の「何か」とはなんのことなのでしょうか。
私はよくわかりませんが、意識に上りにくい、極めて曖昧な領域のものと認識しています。
実は治良においてこの領域はとても重要で、治癒現象の本質を担っているとも考えています。

精気が足りないから腎や肝の機能改善だけをしても十分な効果が(治良の場合)得られないのは、この言葉にしづらい領域を勘案していなからだと私は感じています。
いくら物理的あるいは機能的補填をおこなっても、この本質とも言える領域の反応があっちを向いている状態ではなかなか元気になれないようです。

ここのところをうまく説明するために必要な語彙が私には不足しているのですが、意識やイメージだけで操ったりできるものではないことは確かです。
そもそも操るという意識自体が傲岸不遜という感じですが、ともあれコチラの思惑とは別の所で働いており、しかし常に私達の身体を養生してくれている存在であることは間違いありません。

精気をきちんと定着させることが養生の極意だとすれば、治良がそれに近づけるように「何か」とコンタクトし、可能であればそれをちゃんと説明できるようになりたい。
私はいつもそう考えています。

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL.

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional