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改めて考えるべき事

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改めて考えるべき事 2011.0706

先日(2011.7/3~5)、勉強会に出席してきました。
この北長連というのは、私が最初にお世話になった先生が主幹をされている会の北海道支部に当たるものです。
近年、とても興味深い題材で講演会を開いておられ、ここ1~2年ほどはできるだけ参加させていただくようにしております。

研究発表や体験談、あるいは生化学的な切り口を含めた考察などもあり、私個人の感想としてはとても勉強になったことを報告するものであります。

その中である経験豊富な先輩の方とお話をする機会がありました。

その方曰く「治癒というメカニズムが、従来考えられているものよりも、遙かに説明しづらい領域でおきている可能性がある」とのことでした。
まさに私が考えていたこととぴたりと一致し、その後も興味深いお話を聞かせていただきました。

もちろん私と同じ考えだからすばらしい、と言うことではありません。

話は少し前後しますが、この会というのは浄土真宗のお寺がその母体で、初代の先生がお坊さんでありました。
その際たてられた治療の三本柱というものがあり、「脊椎矯正」「精神療法」「プラナ療法」というのがそれでした。
脊椎矯正は背骨、脊柱の徒手矯正。
精神療法というのは心の治療。
プラナ療法というのは一種の気功療法であると説明されています。

私もそのように理解していました。
ついでに申し上げると、宗教的訓話に絡めて説明されていることが多く、どうにも抹香臭いような気がして(先生すみません)脊椎矯正以外はあまり好きになれませんでした。
尤もその脊椎矯正だって並以下だったわけですから、この方法で上達したと言えなかったわけが今はわかります。

しかし遠隔治良を含むイメージの重要性が大きな比率を占めるような状況の中で改めて当時のテキストなどを読み返してみると、「うーん、これってもしかして俺の求めていることを(かなり理解しづらい言い方で)いっているのか?」と思えるようになりました。
脊椎矯正を単なる骨格矯正ととらえず、最も効果的な部位への直感的なアプローチであると考えると、その主張に説得力が増します。
精神療法の重要性が脊椎矯正以上であると考え始めたのは、心というものが自分が考えていたよりも遙かに広い範囲で起きる現象の総称であろうと認識し始めたからです。
プラナ療法に至っては、自分の下手で狭い認識がイメージしうる気功法などではなく、人体というオープンシステムに備わるきわめて精巧でダイナミックなエネルギーシステムであるような気がしてきました。

もちろんその正確なメカニズムをみながみな(私も含めて)理解しているものではないでしょう。
しかしそれが大事!と言う「直観」を疑うことなく信じることできた。
そしてそれをより簡単な言葉や説明に置き換えて、たくさんのヒトに伝えることができた。
またそれを信じ、実践することができたヒトを多く抱えることができた。

言葉にすると簡単ですが、そうそうできることではありません。
少なくとも今の私には無理です。

まず「信じる」ということができません。
疑いを持たないというのは、現代のような情報過多の時代においては至難の業と言えるでしょう。
信じる、を実現するためにはある種の才能あるいは素直さを必要とします。
私のような凡人はまず段取りをして、正確にイメージを描けるようにするか、さもなくば信じるための準備を行う必要があります。
いずれにしても今しばらく時間がかかりそうです。

現状で理解しているところでは、体がベストチューニングを取り戻す鍵となる反応を引き起こすきっかけが治良であり、その鍵はこれらの三本柱の中にきちんとおさめられているようです。
もちろんどんなアプローチであっても、その理想型を求めてみな工夫を繰り返していることにはかわりありません。
あらゆる方法においてきちんと結果を出している人がいるように、要はアプローチよりも施術側のマインドセットが大きな影響を及ぼすような気がするのです。

これは言葉で書くよりも大きな意味を内包している、私はそう考えます。

説明の正確さを求めるといつの間にかイメージと施術がおろそかになる。
昨日まではそう考えていましたが、どうやらもう一歩踏み込んで考える必要が出てきたように思います。

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