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マインドフルネス

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マインドフルネス

これ、すごくよく聞かれるようになりました。
詳細はwikipediaでもご覧いただくとして、端的にはどういったものなのか?との質問をよく受けます。
本稿では主に「マインドフルネスという状態」について書いてみます。

仏教概論シリーズを書き始めて「ああこれが自分の悩みの正体かあ」と思ったことがあります。
それは「つらいときほどあれこれ思い出している」と言うことです。
目の前の事象や心配事(例えば健康上の問題)にたいして、その都度適切な対応をとる前に「この病気だったら後々こういう転帰たどり、そのときの予想される苦痛は虫歯の数十倍で、家族の生活は自分死後あーでこーで・・・」と、どんどん連想ゲームのように意味づけ、思い出しが拡がります。
しかも大抵はろくでもない妄想が炸裂し、「さっさとやることやれ!」と自分でツッコむも、恐怖に彩られた記憶によって身動きがとれなくなります。

気づきが情報同士を結びつけて大きなイメージの構築、運営に成功し、結果として脳内リソースの適正な使いかたによる「気持ちのよい状態」とするなら、私のこんな心は「気づきの正反対状態」であり、とっちらかりが拡大し収拾のつかない精神状態と言うことも出来ます。

この時、脳内では恐怖や不安という「生きる上での重大な阻害要因を感じている」状態であり、それゆえに多くのリソースはそれに引っ張られるように消費されます。
それに合わせるように糖をはじめとしたエネルギーも激しく消費され、その結果神経細胞における発熱量も増加します。
これは熱に弱い神経細胞にとってきわめて好ましくない状況であり、その修復機構も全開で対応する必要に迫られます。
このような状態は容易に解除できず、内部では決断の出来ない情報のやりとりが延々と続けられます。
いわば「ノイズだらけの中で同じ事をグルグル考え続ける」ワケで、疲労しやすい神経細胞にとってはたまったものではありません。
ただ面白いことにこういった状況になれてしまうと悩むことが当たり前になり、それを塗りつぶす刺激を求めることに生きがいを感じたりするヒトが出てきます(私です)。
刺激そのものあるいは刺激を求める課程に報酬系が連動しているようで、非常にやっかいな快感経路ができあがっているものと推測されます。
内部で報酬系の興奮を呼ぶサーキットと、それを含む”もっとも使い慣れた反応群”を「自我」と呼びますが、これは常に入れ替わる「脳の喜びそうな基準」によって右往左往するように出来ています。

ものすごくありふれたこうした自我の形成と強化反応は、一方で拡大し続ける事象の評価反応(=思い出しては意味づけする)に拍車をかけ、最後にはモウなんだかわからないネットワーク機能を脳に作り上げます。
また脳内で起きる記憶のリンク反応が多ければ多いほど混乱は増し、脳という臓器の疲労は加速してゆく傾向があります。

これらが起す混乱を身近なものでみてみましょう。
今私が大好物のコーヒーを飲むとします。
「(゚◇゚)いい香りや!」「コーヒーを飲む余裕がある俺ってすげー!(笑)」「昔美味しいコーヒーを飲んでいるヒトってかっこうよく見えたなあ」「ただコーヒーってWHOがいうほどいいものかな?」「飲み過ぎると体が冷えるしおなかもいまいちだなあ」「そもそも金かかるなあ」
まあざっとこんな感じでイメージが浮かんだとします。
当然瞬時にこれらのイメージに付随するイメージも喚起されるよう、私たちの頭は出来ています。
体調のよいときなら前半のイメージ、つまり割とアッパー系の心理状態を誘導するイメージが優先します。
しんどかったり心配事が多いときは後半のダウン系がより前に出てくるでしょう。
付随したイメージも同じように、脳内ノイズの発生具合に概ね連動してくるはずです。
つまりどうあっても(少なくとも私は)イメージの喚起と脳内の疲労は程度の差こそあれ避けられないと言うことになります。

これは短期的にはさほど問題になりませんが、長期的には様々な疾患の基礎になるもので、今増えつつある鬱病などもこうして脳を酷使した結果であると考える人もいるくらいです。
コルチゾールの稿でも書いたように、ストレスに対する反応は脳にも臓器にも強い負荷をかけてゆくのです。

何よりもそれ以前に「気持ちが苦しい」という状態を招き、情報がネットワーク化されることによってもたらされる安定感やリソースの節約と言った「気持ちの良さ」を感じづらくなることが大問題になってきています。

これらは次々をわき上がる内部イメージ(記録を都合よく編集した記憶)の起ち上がりによって起きるものである。
だとすればいちいちイメージが起ち上がる前に何かに意識(=注意集中現象)が持って行かれるようにしてはどうだろう?
記録は感覚を通して記憶になるから、その前つまりは感覚そのものに集中してみようよ。
余計なイメージが出てこないように自分の体が今どうなっているのかただ感じてみるってのはどうよ?
やってみたらすごくいいね、でもこれって仏教の提唱する瞑想法そのものじゃん。
じゃあ現代人になじみやすいように宗教的な要素を排除してやってみようぜ!

マインドフルネス瞑想というマインドフルネス状態を誘導する方法論は、そんな風に出来たのでは無いかと考えています。
これはあくまで個人的な意見ですが、このアプローチはストレスに対抗する非常に素晴らしい方法論だと思っています。
ストレスそのものや悩みの解決というよりは、ストレスで疲労した脳細胞を休ませ、日常的に起きるストレスに対する処理を安定的に行わせることが目的のように思えるからです。
疲労した体を入浴やマッサージで和らげて明日への活力にするの同じく、硬直した思考にとりつかれた脳味噌をいったん休ませて内部の問題に立ち向かう。
そしてあわよくば悩みそのものを俯瞰し、解決の方策を探し出す。
さらにはストレスそのものが起きないように整備する。

ストレスをいきなりなくそうとするよりもよほど実践的であると考えます。

実は私も数年前偶然ではありますがあれこれ試している内にこの方法にたどり着き、ほぼ毎日実行しています。
ただマインドフルネスという方法を詳しく勉強したわけではなく、自分の状態を安定させる方法を考えてゆくうちにたまたま似たような方法論に行き着いただけですが。
なので質問を受けてもマインドフルネス瞑想を詳しく指導することはできません。
ただし「今ここ、自分の体に今起きていることに集中する」ことは可能な状況下においてですが推奨できます。
短時間でも楽しいので、試してみて下さい。

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