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セロトニン3

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セロトニン3

なんでもかんでも、体の不調感=脳の機能問題=セロトニン分泌問題、とするのは乱暴以外のなにものでもありません。
が、捕食を必要としかつ社会的生活をする生物である以上、興奮状態と適度なブレーキのバランスは必須で、脳内伝達物質のバランスや絶対量から体調管理を考えるのは、真理の一面をついていると考えられます。

もちろんそれらの分泌に他の臓器や組織、システムの影響が皆無であると考えるのは無理がありすぎます。
ただそこまで考えるには知見も経験も不足しているので、ここは限定的な範囲で考察してみたいと思います。

セロトニンの作用の一つに「下行性疼痛制御」というのがあります。
簡単に言うと、痛みを感じる入り口と中枢部それぞれに、セロトニンが作用する鍵穴があります。

中枢部(主に脳幹)の鍵穴にセロトニンがたくさん作用すると、入り口側の鍵穴はセロトニンを必要としなくなります。
中枢部は鎮静、鎮痛作用を持つ働きをするのでセロトニンを取り込むことによって落ち着いた生活を送ることが可能になります。

逆に入り口側の鍵穴は興奮性の神経なので、セロトニンを取り込んで働き始めると、痛み情報をたくさん拾ってしまい、結果として痛みを感じやすくなります。

そしてこの2種類の鍵穴は他方がセロトニンを取り込むともう一方が閉じるようなトレードオフの関係になっています。
ついでにいうと中枢の状態が優先しますので、脳幹がセロトニンを取り込むか取り込まないかで状態は決まると考えられています。

話は少し飛びます。

セロトニン2で「女性の方がセロトニンが少ないのは、それが必要のない状態を女性が自ら作らざるを得ないからだ」というようなことを書きました。
元来私たち生物の体というのは、パーツに分けて議論するよりも、全体を一つのシステムとみた方が実践的であると考えられてきました。
代表的なところでは中医学がありますが、日常の管理という点では十分に機能してきた経緯があります。

ただし感染症やけがの処置をはじめとした緊急状態、あるいは生化学的な問題が完全に解明されていたりする状態に関しては西洋医学に分があるのは明らかで、このあたりを混同すべきではありませんが。

私がここで申し上げたいのは「(人体を含めた)人間というシステムは非常に曖昧な境界しか持ち得ない、あるいはそうとらえた方が(少なくても私は)理解しやすい、ということです。(「限定的な範囲で考える」と書いておきながら、「曖昧でしかない」とは何とも矛盾していますが、わずかながらの手がかりを糸口に考えざるを得ない現状ですので、そのあたりはご容赦を)

曖昧であるということは、見方を変えると「すかすかであれこれ取り入れる余地がある」ということにつながる、と私は常々考えています。
「ソリッドだが硬くてもろい性質よりも、やや不具合が出やすいがアクシデントに強く柔軟なシステムを選択しがち」ともいえるかと思います。

そしてその傾向は女性の方により強く、同時に物理的にも生物学的にも不安定さを呈しやすい可能性を秘めています。

合目的性が高ければ高いほど、限定的な状況(たとえば仕事オンリーの生活、など)には強みを発揮します。
しかし育児を含めたアクシデントだらけの日常を乗り切るためには、多少突出したスペックを犠牲にしても、高い汎用性を必要とする場合が少なくありません。

セロトニンが大量に出てくる、あるいは出てくる必要がある状況が続くと、日常において痛みという信号を忘れがちになるかもしれず、つい突っ走ってしまう傾向を持ちやすいという可能性を否定できません。

前項で書いたようにこれでは微妙で女性特有の柔らかさを必要とする(と思うのですが)育児などに十分対応できるかどうかは、少し疑問符がつきます。

進化の過程でそのような基本的方向を獲得したのか神様(がいるとすればですが)が最初からそうつくったのか、はたまたわたしの妄想なのかははっきりしませんが、女性が肉体的あるいは機能的に男性ほど力任せにできないようになっている理由のひとつとしてはあり得そうな話ではあります。

(現時点での)結論(の一つ):女性はセロトニンなどの分泌物を少なくすることで、強固さを押さえつつ柔軟なシステムを備えている。
それは様々な変動に対応するための進化的必然である(かもしれない)。

ご意見をお待ちしております。

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