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オカルト

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オカルトについて

私はオカルトという言葉が嫌いではありません。
オカルトとは本来「隠された真実」という意味があります。
科学(science)という考え方が出てきたのは中世ヨーロッパですが、それ以前はオカルティックな考え方が立派に学問として通用しておりました。

科学とはいわば「誰がやっても同じ結果を得られる」ものであり、一般化が特に重んじられます。
つまりどこからけちをつけてみても矛盾を証明できないことが重要で、ある意味とてもフェアであるとも言えます。
別の言い方をするなら現実を矛盾無く説明できることが科学であるとも言えます。

これに対してオカルトは「確かに何かあるけれどそれを矛盾無く説明できないし、同じように他人がやっても同じ結果が出るかどうかわからない」ものです。
要するに職人仕事のことなのです。

ここで注意をしていただきたいのは“妄想”とオカルトは似て異なるものである、ということです。
オカルトは上に書いたようなことですが、妄想にはまったく現実がついてきません。
あるいはついてきてもほとんどまぐれでしかないような確率で、再現性がきわめて低いのです。
現実が再現性を持って現れるなら、それがどんな突飛な発想や説明をしていても、妄想ではなく職人仕事の結果でしょう。

治良をはじめとして補完医療や代替医療は数多く存在しますが、そのほとんどは「オカルト」であって、妄想ではありません。
なぜなら現実がついてこないものはあっという間に淘汰されるからです。
科学が説明できなくとも現実がついてくることが肝要で、その再現性がある程度以上あるなら、十分職人仕事と考えて良いわけです。

技術の一番大切なところはなかなか言語するのが難しいのです。

私の父もそうでしたし、修行中もよく「仕事はみて体で覚えろ」と言われました。
理論という一般化されたものには限界があり、大事なところを伝えるには(自分の言葉は)十分ではない。
職人はそのことをよく知っているのです。

問題があるとするならオカルトが科学にすり寄ろうとしたときでしょうか。
元来語句による説明ができない領域のものなのに、それを既知の言葉や理論で解釈しようとしたとき、その職人はきっと大切なものを失うでしょう。

科学は私たちの生活に画期的な恩恵をもたらしました。
これからもきっと信じられないことを発見し、私たちの生活に良くも悪くも影響を及ぼすはずです。

しかしオカルトも一般化が不可能な領域の、本質の一面とも言えるようなところを私たちに見せてくれるはずです。
一般化が難しいから体系づけた理論化や研究は難しいですが、それでも「一子相伝」のように言語化不能なコアの部分は特定の人に継承され、少しずつ発達してゆくのでしょう。

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