越田治良院へようこそ あなたのココロとカラダをリセット

「意思」と「意志」

FrontPage
戻る

「意思」と「意志」

この二つは読みが一緒ですが、その意味するところは微妙に違います。

前者は一言で言うと「要求、欲求」となり、後者は「実行するための思考もしくはその前段階」、少なくとも治良においてはそのように区別をします。

体の各部は私たちが意識しないだけで、実は常時様々な要求を出してきています。
それは外部からのものに対して、例えば飲食に関すること、かもしれませんし、あるいはストレスなどの内部環境に関してのことかもしれません。
これは体の意思であり、都合の善し悪しにかかわらず、制御系に常時提出されている陳状みたいなものです。
個体維持と言う統一された究極の目的のため各臓器、各組織はそれぞれのスペックをきちんと発揮できるように、システムの最適化を制御系に要求するのです。

体を国に例えると、私たちは(一応国を維持するという目的のためにも)各個人の生活が安定できるような安定したシステム作りを望んでいます。
そして中枢神経をはじめとする制御系という、生産性はないけれども全体を最適化することに特化した組織群(これは政府やその機関に当たりますね)は、それぞれの要求を拾い上げつつも、個体維持のための最適な妥協点を探します。

実際は私達の体もこれほど単純ではないにしろ、概ねそのように考えても差し支えないと私は思っています。

これらはある意味無意識の要求であり、適正な生理的反応を維持するために必要なことであると言えます。
つまり無視すると後々痛い目に遭う可能性があるわけです。

これに対して「意志」は、「意思」による欲求を実行に移す段階において脳内で発生する、ある種の思考ということができます。
つまりこれは脳という臓器がある程度健全でないとまとめることが難しいもので、ある種の問題は体を動かすのに必要な、最低限の「意思統一=意志の維持」すら難しいところから来ているものといわれています。
これはほぼ純粋に中枢神経系の問題と言えます。

ほぼ、と書いたのには理由があり、記憶の共有によっておきる意志の不鮮明化がおきやすいからです。
自分の内部や自分以外の思考、記憶に影響を受けやすい領域でもあります。
生理状態が安定していると簡単には侵害されませんが、脳も臓器の一つであるのでシステムの不安定さは長期になると通常アクセスしない反応とリンクするきっかけになり得ます。
この問題は生化学的なチェックに引っかからない、理由のよくわからないやっかいな異常として、最終的には放置されやすい症状が多く、そして意外に多くの人が抱えている問題でもあります。

治良によって「意思」を変更させるのは(全く不可能ではないですが)基本的に難しいといわざるを得ません。
しかし「意志」は

1.まず脳という臓器の健全さ
2.そしてそれがまとまり維持される課程における反応
3.外部からの影響の有無

において(原則)介入、改善が可能と言えます。
特に3における問題は組織変化がみられないケースが多く、1にも2にも引っかからない場合、一度チェックをしてみる価値はあると考えています。

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL.

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional